ジャパニーズインベスター 2002年04月号 掲載内容
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     【 金銭感覚 vs マネー感覚  ─ 日本人と欧米人のお金感覚 ─ 】 2002年Spring号掲載

日頃、私たち日本人はお金にどう接し、どう対処しているのだろうか。人によって差はあるものの、意外と「単なる長年の習慣から」などという場合が多い。こうした一般的な日本人の金銭感覚を、欧米人のマネー感覚、世界のお金感覚に比べると、かなりな違いがあるのが分かる。では、日本人のお金感覚はどんなものだろうか、どんな金銭感覚だろう。国際化の時代、グローバルなマネー時代の中で、お金に強く賢くなっていくためにも、ぜひ知っておきたいもの。
まずは自分自身のことから……。


日本人の金銭感覚は淡泊
 総じて日本人はお金に淡泊であると言われている。あるいは無理をしてでもそう見せようとしているのかもしれない。実際には非常に気にしていても、それにこだわるのはカッコ悪いというような気風で、レストランなどで飲食のあと、支払いの伝票を見栄を張り、我れ先にと掴んだりしている。一方で、他人の金離れに対しては大いに関心を持ち、厳しくチェックしている。「あの人はしまり屋だ」というのは決してほめ言葉になっていない。また、お金のことをストレートに言うのをはばかるカルチャーもある。あまりお金のことをこまごま言うと、「あいつはお金に卑しい」ということになる。
 お金自体は卑しく汚くもないのに、どうもその裏には「お金は汚いもの」「お金のことを言うのは卑しい」という感覚がある。
 昔から、日本では「武士は食わねど高楊枝」という格言があるように、お金には淡泊で、卑しむような心情があった。格言は江戸時代のもので、身分だけは高いが、あまり金銭に恵まれず生活が豊かではなかった武士の心を表したもの。それを明治維新以降も、国民みんなで受け継いできてしまったようだ。そのため、お金のみを目的に仕事することにはとまどいがある。サラリーマンもお金より会社のため仕事のために生きかいを感じ、それを優先させてきた向きがある。お金にこだわるのはカッコ悪く、お金に淡泊なのである。

お金は天下の回りもの…
 日本人はお金に対し際だった情熱を持っているようにはみえないし、歴史をみても、「所有する」という概念も薄かった。時の為政者たちや室町時代の荘園の領主や、江戸時代の大名たちも、領有する土地は自分の資産というより「預かりもの」だった。庶民のほうでも金は「天下の回りもの」といい、何でもかんでも自分の所有だとは主張しない。あきらめもいい。その点、西欧人のほうが、はるかに個人の財産権を情熱的、かつ頑固に主張する。
 これには日本人の運命論者的な姿勢があって、それがお金や投資の考え方にも影響してきたと思われる。仏教や神道などの宗教、自然災害なども関係しているようだ。いつ地震が起こるかもしれない、いつ台風や津波が来るかもしれないという環境状況では、自分の命さえおぼつかなくて、お金に対する執着心も薄れがちだ。どちらかといえば「流れるままに…」なのである。

職人的な日本人の金銭感覚
 日本人はまじめだし、規則、約束もよく守る。その影響もあってかコツコツとよく貯蓄する。日本人の貯蓄率の高さは有名だし、また借金の返済率も優等生だ。資金が乏しかった明治時代ですら、海外からの援助に頼らず、自力で借金しインフラ整備や技術の導入を図り、そしてまじめに返済してきた。個人でも、クレジットカードなどの債務返済率は世界的に頭抜けた模範生なのである。日本人は税金もまじめに納める。なんとなく不満を感じてはいるが、とにかく納めるものは納めてしまう。スキャンダル続きの政府官公庁でも、いまだに「お上」を頼りにしている。ヨーロッパのように、政府を「個人の利益追求に相反する存在」という位置づけはしない。日本人のお金感覚は職人のお金感覚にちかいように思える。
 又、日本人の金持ちは目立ちたがらない。日本人は周囲を気にするタイプだから、周りの人に金持ちが出ると何かと気にかかる。すぐにやっかみの対象にする。だから成金趣味の人はともかく、昔から金持ちはお金がないようなふりをする。しかし、中国人は金持ちを見たら、やきもちを焼くより自分もああなりたいと憧れる。アメリカでは一代で大富豪になった人は崇めの対象になる。あのジョージ・ソロス氏や投資の達人ウォーレン・バフェット氏は英雄ですらある。これに比べ日本人は、お金持ちであることを隠し、お金に対して非常に秘密主義である。

お金とセックスは似ている
 ところで、お金とセックスはどこかよく似ている。ユダヤ人はお金やセックスを軽蔑しない。むしろ人生に重要でかつ役立つものだと考える。ユダヤの聖典「タルムード」では、性を「生命の川」と考え、川はうまくコントロールしないと大洪水を起こすが、うまくコントロールすれば豊かな収穫になると説く。だからユダヤ人は、結婚しなければ生きる喜びも神の祝福もないという。

日本人の高値買い
 日本人投資家はいわばネギを背負ったカモ的存在に見られている。値段が上がっている物件や株を、「あの人も買いましたよ」とちらつかせると飛びついてくるので、世界の金融マンの格好のターゲットになっているからだ。いわゆる高値買い専門で、あのハワイやオーストラリアの不動産を最高値で買ったのは日本人だし、香港やメキシコの債券の値上がりの最終場面に登場してババを掴んだのも日本人だった。「日本の投資家が出動してきたら降りろ」と言う人もいるくらいなのである。
 どうして日本人はこうなってしまったのだろう。これは日本人の特性である「横ならび主義、群れたがり心理」が大きく影響している。農耕民族の習性ともいわれるが、自分で判断するより隣り近所を見てとか、村の長に言われてとか、何かとみんなで一緒に行動するのが好きなのである。そのためみんなが投資するのを待ってから出動するので高値買いになってしまう。また、日本人は情緒的なので投資においてもムードに流され、合理的な視点、的確な判断、自分の決断がおろそかになりがちである。これらのコンビネーションが最悪の結果をもたらしてしまうのだ。この傾向は個人にかぎらず法人にもみられる。日本の会社は全員の合意で決めるのが好きである。しかし、投資にコンセンサスは馴染まない。全員がよいという投資は大体儲からない。投資は、安く買って高く売るのが鉄則。ところが日本の海外投資はどうも高く買って安く売るという悲劇の歴史になっているようだ。

欧米資産家たちの金銭教育
 こうした悲劇をくり返さないためにも、また日本人の資産がカモにされないためにも、金銭教育・投資教育が必要だ。欧米の資産家の成功例をみてみよう。最近、アメリカの実業家が24億円も出して宇宙飛行をしたというのが話題になった。デニス・チトー氏だが、彼の母親は「何か欲しいもの、したいことがあったら貯めなさい」と、幼いうちから教育したそうだ。彼は宇宙旅行がしたかったので、自分でちゃんと貯めてその夢を果たしたわけだ。また、あのシートン動物記で有名なアーネスト・シートンの父親は、21歳になった息子に、「生まれてからこれまでにかかった費用を、利息を付けて全額返してほしい」と言ったそうだ。シートンはあっけにとられたが、クリスマスカードの絵を描いたり、動物の絵を描いたりして貯めた資金を元手に、不動産投資で儲けて全額を返済したという。こうした例は極端な例だが欧米家庭の金銭教育の一端がうかがえる。
 米国の大資産家たちは専門家集団からなるファミリー・オフィスをつくって資産を管理したり、同時に子弟の金銭教育を行っている。あのロックフェラー家でも、10歳代の若いうちからオフィスに呼んで入念に、株式や債券など金融の勉強をさせるという。実際に6歳位から株式投資をさせるファミリーオフィスもある。一般家庭においても、自己責任を明確化した自己責任を明確化したマネーマネージメント教育を行っている親も多い。学校で株式投資教育を行っているところもある。

継承の重要性
 欧州の資産家たちの歴史は古く、15代目、18代目などという人たちに出会う。スイスのプライベートバンクの頭取たちも5代目、6代目という人はざらだ。日本との歴史の違いを感じさせられる。比較的若いといわれる米国の資産家でもロックフェラーなどは、すでに5代、6代目になっている。であるから、資産の維持、金持ちであり続けることのノウハウなどは充分積み上げられている。欧米資産家の二世教育は、資産を代々継承するのに成功してきただけに、学ぶべき点が多い。それは資産の継承だけでなく、価値観の継承をも含んだ、根本、基盤の教育である。二世教育で重要なのは、種々 なノウハウの継承だけではなく、自分たちの価値観や精神的な基盤を、どう子供達に学ばせ、習得させ、継承させていくかという点である。価値観の継承は、資産の継承と同じくらい、あるいはそれ以上に大事である。この継承に成功した資産家だけが、何世代にも渡って富み栄え、またビジネスに成功する。日本の場合はどうであろう。かつては武士道があり、価値観の伝承は少なくとも一定の層では滞りなく行われていた。しかし、現代の日本にはそれに代わる価値観はない。ビジネスの世界を見ても、二世ははたして何人いるであろうか。これは国家的問題でさえあるかもしれない。