たしかあれは10年ほど前のことだった。チェースマンハッタン銀行の信託部門を担当していた重役は、「私が日本の財務当局だったら、オーナー企業のスムーズな相続を
最優先の課題にするがネ」と言った。
外人なのに、いや外人だからこそ、オーナー企業のノウハウがしっかり継承されていかなければ日本の力の源泉が失われてしまうことを見通しての発言だったのだろう。
ところが、日本ではこの種の発言は「金持ち優遇」といかにも受けが悪い。一部の人たちのみが資産を後世に遺すなんて不公平だ、と私達日本人はやっかみが強い。
だから廃業する会社が跡を絶たず、せっかく蓄積された技術や、ノウハウが失われてしまう。
「オーナー企業」は一般にどんなイメージで見られているだろう。――中小零細企業?社長は1から10までとりしきる超ワンマン、組織を育てないし、何十年も社長に
居座り、経営手法も旧態依然としている。後継者として入社した息子はお坊ちゃん育ちで性格は良いがてんで使い物にならない。不動産収入が無ければお手上げ。
――そう、確かにこうしたオーナー企業もある。然し、全く違うオーナー企業が多数あるのである。
◆オーナー企業は中小のみにあらず
オーナー企業という確立した定義があるわけではない。敢えて言えば個人やそのファミリーが会社をコントロールしているか、大きな影響力を及ぼしているといったところで
あろうか(*1)。世界ではオーナー企業というよりむしろファミリー企業という表現の方が一般的であり、その研究は今盛んに行われていてセミナーも多い。
ファミリー企業の定義も一定ではないが、オーナー企業の中でも同族の何人かが会社に関与しているか、会社の経営或いは株式を次世代に残していく意志があるという
イメージであろうか。
世界全体でファミリー企業は国によっても異なるが、少なくとも全企業数の65%〜85%、またGDPの50%〜90%を占めるといわれ、文字とおり世界経済の屋台骨を
支えている。必ずしも中小企業では決してない。ファミリー企業は世界の最大企業をランク付けしたフォーチュン500社の37%を占める。フォード、ウォルマート両社
とも約40%をファミリーが支配しているファミリー企業である。世界最大のファミリー企業であるカーギル社の売り上げは600億ドル(6兆円強)に達する。国の経済を
揺り動かすファミリー企業は先進国、途上国ともに存在する。インドではなんと16のファミリーグループで民間資産の60%を占めている。
日本の場合は、2000年3月期時点で四季報掲載のうち40%以上が広い意味でのファミリー企業(*2)である。勿論非上場の大規模ファミリー会社もある。
シンガポールで「かつては自分の家、ユゥ家の受取書のほうがシンガポール政府より信頼が厚かったのだ」と語る三代目と話をした。祖父である創業者が亡くなった時
シンガポール政府は初めて相続税を導入した。ユゥ家はその莫大な相続税を払うのに50年以上かかったそうだ。面白いことに、こうした世界の巨大ファミリー企業も、
日本の中小オーナー企業とも同じような問題を抱えこむ。それは会社とファミリーの生態がそもそも違い、その矛盾がファミリー企業に通常の会社と違った問題を突きつける
からである。そしてオーナーのファミリーもまた事業をしているが故に独特の問題を抱えるのである。
◆ファミリー経営は時代遅れにあらず
私が企業買収の仕事をしていたときターゲットをオーナー企業に絞っていた。何らかの決断が早く出せるからである。他方サラリーマン経営者企業からは重箱の隅を
突っつくような質問が延々と出され、挙句上司が変わってまた一からやり直しではどうしようもない。
迅速な決断がとれることがオーナー企業の特徴とされるが、それはまさにこの変革期、ハイスピードの時代向きと言えないだろうか。「ブランド業界にファミリー企業が
多いのは決して偶然ではない」と、この種のセミナーを主催するイアン・パートリッジ氏はいう。勿論、それが適切な決断でないとみじめな結果を迎えることとなる。
ワンマンであればあるほど、自分の意見と異なる意見を吸い上げる仕組みを社内に定着させるコーポレート・ガバナンスが要求される。
社長の中には家庭でも部下を扱うように家人に接し、会社の論理をファミリーに持ち込もうとする人がいる。或いは、会社では社員の反応に敏感で不満を辛抱強く
聞くのに、家族の意見や気持ちにとんと無神経になる人、どう対応してよいか戸惑う人を見かける。家族の意見調整の場や制度をつくるなどファミリー・ガバナンスに
腐心しないと、「事業は拡大したものの、家には誰もいなくなっていた」になりかねない。コーポレート・ガバナンス、ファミリー・ガバナンスに成功したファミリー企業は
繁栄する。
ファミリー企業というと旧弊で儲からない会社というイメージを持たれるかもしれないが、どうしてどうして優等生は多い。S&Pに含まれる会社群での利益率比較では
ファミリー企業のほうがよく、かつ負債額も少ないという結果が出ている。日本の場合でも四季報掲載企業の2000年3月期の経常利益率の平均が4.5%である
のに対し、個人として最大の株主であり、しかも創業者またはその一族が経営トップを担っているファミリー企業の利益率の平均は6.32%だった(*3)。
◆伝統は弱点にあらず
伝統というと何か重苦しい閉塞感、新しさを追求できないように思われるかもしれない。しかし古典芸能でも見られるように、伝統はまた斬新性の源泉ともなるのである。
何世代に亘って受け継がれているファミリー企業には企業文化が会社の隅々まで伝わっているとともに、またオーナー経営者自身伝統が身についているが故に、
却って安心して改められると言えないだろうか。二代目以降は会社を潰してはいけないという存続意識が強いので、それが変化に対応する適応力に繋がる。実際、日本で
報酬に成果主義を導入したのはファミリー企業の方が早かった。またそうして変わっていかないと創業時のエネルギーは失われてしまう。一番大切なのはどれは変えて
いけないことで、どれは時代と共に改めていくのか、その見定めをすることだろう。考えてみれば私たち個人にしても父母のやり方の何を引継ぐのか、何を変えていくのか
深刻なチャレンジを受けているのに、果たして意識的に良い選択をしているだろうか?
オーストリアの名門テキスタイルの家業をつぐその人は多芸だった。私達の前でベートーベンの「悲愴」を弾いてくれた。射撃の名手でありノルディック・スキーもするという。
それでいて世界中を駆け巡る猛烈社長でありウィーン商工会議所の重鎮でもある。「テキスタイルをアートのレベルまでに高める」が社是とのこと。自身6代目であるが、
ナチとソ連の相次ぐ侵攻で会社の資産は壊滅し従業員の30%は死亡した。しかし「伝統」は残った。祖父の日記に克明に記された過去、「伝統を残す責任と喜び」は
彼のなかでエネルギーとなった。彼自身デジカメとパソコンですべてを記録する。ロータリー・クラブの会合で隣り合わせになったが、会場の写真をとりまくっていた。前述した
シンガポールのユゥさんも家業は殆ど既に売却されていたが、家名に対する誇りが新たな起業のエネルギーを呼んだ。
勿論ファミリー企業が全て革新的、意思決断に優れ、伝統の力でエネルギーに満ち溢れていると言う気はさらさらない。ファミリー企業は、コーポレート・ガバナンス、IR、
経営手法、総合力でも最優秀組と、劣後組とに二極分化しているのではないだろうか。オーナーの年齢にしても極端な高齢層と若年層が並存する。
オーナーのつぶやきもまた様々というところか。
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(*1)日本では同族会社という言葉がある。これは税法上規定されており、日本企業の実に95%は少数が(ファミリーとは限らない)50%以上の支配権を持つ同族会社である。
(*2)ファミリー企業の定義に関しては倉科敏材教授著書「ファミリー企業の経営学」参照のこと
(*3)*2と同じく、富士総合研究所の調査より
(企業家倶楽部、2005年3月号「世界のオーナー達のつぶやき」に掲載)