§ 伝える ― 誰にでもできる試み ―
◆「持てる者」の生き方
スイスのプライベートバンカーに、「日本でそんなに相続税が高いなら、子供に遺産を残せないではないか。
そうしたら働くモチベーションも生まれないだろう。」と言われて答えに窮したのを覚えている。
お金を稼いで子供に遺したいと誰しもが願うようだ。しかし、遺産を残さない方針の人たちもいる。
世界長者番付の常連のビル・ゲイツやウォーレン・バフェットは資産の大部分を寄付する方針だと伝えられている。
そこには特に若いうちに大金を手にすることは子供自身の為にならないという配慮がある。
ウオレン・バフェットは、子供に与える適切な額は「子供がなんでもできると思うぐらい十分な額であり、しかし
何をしなくてもいいほどではない額」としている。資産を早くから渡された子供は何をやっても達成感が得られず、
何をやっても社会から評価されずに精神的負担に耐え切れず問題を起こした事例には事欠かない。
過度に恵まれた子供の問題は米国で広く研究され、やる気のなさ、正当な自己評価ができない、感情が未成熟で
自立が遅れる、あきっぽくいつも退屈しているなどの性格上の特性が挙げられている。過度に親に甘やかされて育った
日本の子供の特性と共通する点が多い。
他方、若いうちから子供にお金を渡すメリットもまたある。お金のために長時間労働をする必要がなく、
子供自身が大事だと思っている価値観に従って自由にのびのびと生きられる、両親で子育てできる、
ボランティアや慈善活動など社会の為になることにフルタイムで従事できる、好きな芸術活動などに打ち込める、
などが挙げられている。全く仕事をしない場合は、少なくとも何か自分の「生きるよすが」のようなものを見付けておかないと、
よい人生は送れないようである。私の知る「相続人」の中には、親やファミリー全体の資産運用を仕事としている人がいる。
彼らの中には社会的責任投資を行うことで、自分たち自身の力によって社会の方向付けを実践しようと意欲を見せる人もいる。
こうした「持てる者」の生きがいの研究は或る程度恵まれた日本のリタイヤ組の参考にもなろう。
◆遺言でまず書くこと
日本ではまだまだお金だとか遺産について親子でオープンに話し合う土壌がない。欧米と違い、信託により若い頃からまとまった
資産を手にするケースはまれである。その所為もあるのだろうが、超資産家の子弟でも、夫婦で社交やボランティア中心の生活をする
というケースはまれで、夫はサラリーマン生活をしていたりする。また殆どの資産家が資産を若いうちから子供に渡すのは勿論、お金が
あることを子供に知らせることさえ躊躇する。
それ故、遺す方も受け継ぐ方も準備のないまま相続を迎えることが多い。相続を期に兄弟等の相続人間の仲が険悪になる場合が多々あり、
「お金がある人で幸福な人は滅多に見かけない」と明言する弁護士もいるほどである。これは、しかし、余りに人の財的資産に重きを置く結果
ではないだろうか。自分の資産のなかで最大の資産は人的資源だということを認識して、まずそれを子供に伝える試みをすべきだと思う。
例えば、相続を争族にしない手段として遺言を残すことが勧められている。ところが遺言では、とかく自社株は長男に、その他の資産は
長女に遺すなど事務的なことに終始しがちである。そうすると遺産を受け取る方も、自分の方が少ないとか、不公平だということになってしまう。
第一に伝えるべきことは、 「あなたたちのような子供を持って本当によかった。おかげで自分の人生が豊かになった。今後ともあなた達を一番
大切に思う」というメッセージではないだろうか。そして自分たちのDNAを共有している子供達、あなたたち兄弟姉妹が今後とも協力し
助け合ってくれたらと願っている、という一文を入れておいてはどうだろう。「自分では一生懸命育てたつもりだけれど、意に反して迷惑を
かけてしまったこともあろうが許して欲しい」という文を入れたい人や、あなた達に遺すお金は「できたらこういう意図で使って欲しい」と書き添えたい人もいよう。
その上で、自分の遺産の具体的な分配先を、或いは分配方針を書き記す。手続き上正確を期して別途専門家に要請してもいい。
この際、子供は親が生前他の兄弟にどのような特別な支出をしたかを、例え本人は忘れていても、きっと配偶者がはっきり記憶しているので、
そのことにも考慮しよう。また身の回りの世話の受け具合などにも配慮した旨も記したい。
◆家族文化の伝承
相続税を節減する試みが各種されている。商法の改正を経て持ち株会社に新株予約権を引き受けさせたり、金庫株を使った対策など
色々の案が提示されている。今後は財団のみならず公益信託を含む信託を使うことも多くなろう。事業の継承をスムーズにする為にも、
子孫の為にも堅実なプランをはやい時期から実行したいものである。しかし以前にも書いたとおり、資産は相続税がない国でも子弟に伝わりにくいのである。
受け手の問題が大きいといわざるを得ない。米国の著名な相続専門の弁護士ヒューズ氏も「節税対策をする時間があったら子供の教育を」と訴えている。
自分が所有している最大の資産は人的資産だということを認識し、相続対策として手始めに家族文化を伝え遺すことを考えてみてはどうだろう。
成人した子供が子供時代を振り返るのを聞くと、親の行為がその意図とは全く違う受けとめ方をされているのに驚かされる。子供の幼児期、成長期
の出来事を育児方針など交えながら書き記し、それを子供に伝えることは立派な家族文化の伝承であるし、子供が将来困難に遭遇したときの心の
支えともなるのではないか。また祖先のこと、自分の親、祖父母、親戚のエピソード、人となりを伝えたいものである。今後人生の舵取りの際にも参考に
なろう。自分たちはお金をどうして稼いでいったか、どういう苦労をしてここまでやってきたかを書き残せば、そのお金をめぐって子供達は争いたいと思うだろうか。
欧米の資産家はよく財団などを作り、自分の信じる社会貢献事業を開始し、その運営の責任を子供にも負わせることで子孫に自分の信条を伝えようとする。
しかし、長く続いたファミリーの話を聞くと、たとえ創始者がいかに偉大であろうと、後続各世代独自のインプットや貢献を引き出す努力をしているように思われる。
夫々の世代が、前の世代から継承したものに自分独自のものを付加して次の世代に伝えるとき、命と家族文化のバトンが上手に手渡されたことになるのでは
ないだろうか。
◆事業承継プランの落とし穴
ここで少しオーナー企業の相続について考えてみたい。創業者は早い時期、自社株の値段が騰がる前に、相続の事を考えて株主構成、
直接保有と、持ち株保有会社等を通した間接保有の比率などを考慮する必要があろう。ところが相続対策上有効な手段には落とし穴がある
ことも認識しよう。その一つが、相続対策でいわば名義を借りた位のつもりでいた株主が突如株主の権利を主張し始める場合である。配偶者が、
不仲とか離婚を期に株式の買い取りを請求することも十分考慮すべきであろう。裏切られたと離婚訴訟に持ち込む妻からみればごく当然の
「今までの苦労と貢献に対する」請求ということになる。子供とてサイレント株主であり続ける保証はない。特に、子供株主でも後継者として
会社に勤めている子供と、会社に全く関係していない子供がいる場合、その両者の利害が一致しないのは当たり前で、後者がより多くの
配当金を求めたり、株式の買い取りを請求する場合もでてこよう。現在欧米の家業を持つ資産家の間では、こういったケースの利害調整も
兼ねたファミリー・ガバナンスの問題が大きく取り上げられており、ファミリーミーティングをどう開くか、家族間の問題の処理に外部のアドバイザーを
どう有効に使うかなど、ノウハウの交換がされている。家族のあり方が急速に変ってきた日本で、今後家族と会社の問題をどう解決していくか、
その枠組みの構築が望まれる。
(企業家倶楽部、6月号掲載)
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