産経新聞 『from』 連載内容
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〜タイトル一覧〜

     【 祭りの小遣い 】  2002年04月02日掲載
我が家では、祭りの小遣は年の数だけ渡すのが慣わしであった。それで五歳の次男には500円渡した。彼はそれを小さな財布に入れ、しっかりチャックをしめて、近所の神社の祭りに飛んでいった。それがものの30分もしないうちに肩を落して、帰ってきた。俯いた頬には乾いた涙の跡があった。財布を手に持っていたら誰かに奪られてしまったという。犯人は大人らしい。ずいぶん罪作りなことをする人だと思った。すっかりしょげている息子を前にして「さて、どうしたものか」と考えた。もう20年以上も前のことである。また500円渡したのでは、お金は無くなってもすぐお母さんから貰えるというメッセージを送ることになり好ましくない。厳しい現実を学ぶ折角の機会も活かされない。かといってあまりにショックが大きいと、これまた心理的に拙いかもしれない。もうお金を扱うのはコリゴリだという事になっても困る。いろいろ考えた挙句、確か100円か200円持たせたように記憶している。
お金との付き合い方が上手な人もいれば下手な人もいる。いくらお金があってもお金に振り回されている人もいる。その原因を探っていくと、意外と幼児期に受けたこうしたお金体験が浮かび出てくるという。たとえば、子供のころ極端な困窮のなかで育つとガリガリ亡者になるとか、お使いで持たされたお金を失くして以来、お金との係りを避けるようになるなどである。お小遣の使い方を煩く干渉された人は配偶者の支出に煩く干渉する、という例も報告されている。こうした人は子供時代の体験を認識して克服しないと、お金との合理的な関係が結べないらしい。日本人はお金のことを言うのははしたないとか、卑しいという気風がまだ残っている。その割には世の中の価値をひたすらお金で測っているように思える。子供時代にお金のことを言うと親は叱る。でも親自身はお金にものすごく拘っているように見える。そんな共通体験が私達日本人にはあるのかもしれない。

     【 「つもり」長者 】  2002年05月01日掲載
日常業務に日々埋没していると、時にふっと心を開放したくなる。旅にでたい、自分を変身させてみたいという欲求が突き上げてくる。でも仕事の関係でまとまった時間もとれない。そんな時に「つもり」になることを思いついた。
きっかけはヨガだった。インド由来のヨガでは色々なポーズ(アーサナ)をとって、内臓、筋肉、神経の働きを正常化させ、心身をリラックスさせる。そのなかにネコの体位、いるか、サギの体位などもあった。そんなポーズをとりながら、本当にその動物のつもりになったらすごく楽しかった。
人間ばかりやっているのもしんどい。時には動物になった「つもり」も気分転換になるというものである。私の干支である猿になったつもりで歩きまわってみたら肩こりもとれたし、ついでに怖い顔をして歯をむき出してみたら気分まですっきりしてしまった。子供の気分になれば、あのころのゴムまりのように弾んだ気分が戻ってくるかもしれない。笹の葉でボートをつくり、水溜りに浮かべる。紙飛行機を飛ばす。畳で滑り込みの練習をする。調子よくいってなんなく一人で笑ってしまう。でも公園のブランコを漕ぎ出したら怖くなり、とても青空に届くまでとはいかなかった。
大金持ちになった「つもり」もいい。よく行く公園は実は自分の公園、好きな山も自分のもの、一寸他人に貸しているのだ。こう思うだけでも豊かな気分になる。それに、こうしたよく行く自分の公園、山を持つと季節感にも敏感になり、自分の体調の調整も出来る。これが実際に所有していたら維持費が捻出できない、また土地の価格が下がった、と気の休まるひまもないであろう。金持ちは意外と苦労が多いに違いない。知り合いの金持ちも楽しそうな顔をしているのを見たことがない。資産管理の心配や、人に騙されたり、はては誘拐の心配まである。ただ大金持ちの「つもり」になっていた方が気楽なのではないか。

     【 家族文化と三代目 】  2002年06月01日掲載
「売家と唐様で書く三代目」といわれるように、資産は三代でなくなる運命にあるようだ。面白いことにアメリカの統計でも資産は二代目で六十五%なくなり、三代目で九十%なくなるという。同じような統計がイギリス、オランダ、そして相続税のないオーストラリアでもある。どうやら資産が目減りするのは受け手に問題があるようだ。金銭感覚が培われておらず、何よりも親からきちんとした価値観の継承がなされなかったことに原因がありそうだ。
このあたりを上手に行い、三代目まで持ちこたえれば資産もそして家業も安泰に継承されていくという。日本でも二百年以上続いている家業が七百社ある。こうした同族経営の継承問題に欠かせないのが家訓の存在である。家族のそして家業の行動様式の規範となってきた。
歌舞伎をはじめとする伝統芸能もまた何世代も続いている。後継者全員が芸術的才能に恵まれているとは考えにくい。でも彼らは早い段階から厳しい鍛錬を受ける。初舞台は三歳、歩き方を教える父親の背後には何世代と続いた価値観がある。後継ぎには一代目と同じ厳しさが要求される。このような技術と価値観の継承が相まって芸の継承がなされていく。
私達もこのくらいの意気込みで次世代の育成に臨みたいものである。それぞれの家庭には独自の価値観があり、文化があると思う。それを私達はDNAとともに祖先から受け継いできているのだ。私達はどれほど真剣にその継承の努力をおこなってきたのであろうか。面白いことに欧米の資産家たちはこうした家族文化の継承に組織的に取り組んでいる。資産の管理や継承を扱うファミリーオフィスも使い、どう家族としての結集をはかるか、どう家族文化を次世代に伝えていくか、ミッションステートメント作り、一族のニュースレターの発行などを行っている。そうしないと家業も資産も消失してしまうからである。

     【 義父の最期 】  2002年06月15日掲載
私の義父榊原仟は心臓外科のパイオニイアであり、私が最も尊敬する人物である。その義父は自分でガンの再発を見つけそして自分の最期が近いことを悟った。医者として多くの死に立会い、また誌上で死についての対談も行っていた義父は、自分の死に方についても色々考えていたようだ。
ガンの再発を知った義父は一日だけガックリ肩を落とした。しかし翌日には義母のために最後まで生きぬくことを決意し、どう彼女に自分の死をうけ入れさせるかに全力を注いだ。当時長年の夢であったアトリエのある家の設計中であった。当然新築の話は中断かと思われたが、義母のためにとかえって施工を急がせた。
義父のガン再発のニュースはやがて世間の知るところとなり、知人のなかには義父に宗教に入ることを薦める人もいた。穏健な義父が珍しく怒るのを見て、自分一人で死と対峙するつもりなのだと思った。義父が手がけた心臓手術一万例の記念出版の文献整理を手伝ったことがある。初期の手術では欄外に十字架の印が林立していた。義父は日経に連載された「私の履歴書」で、「外科医はだれでも心の奥に秘められた、ささやかな墓地を持っている。苦悶のあまりそこに彼は時おり線香をあげに行く。」と外科学の泰斗レリシェの引用をし、また自身、亡くなられた患者さんのために「心の巡礼」に旅立ちたいと語っている。
こうした心の重荷を背負った義父にとっては、絵筆を握ることが何にもかえがたい安息場であった。東郷青児氏に師事し二科展でも入選した。「仏像」「モーゼ」と、宗教をテーマとしたものが多かった。元気な時は寸暇を惜しんでスケッチをしていたものだが、病床で絵筆をとることはなかった。
義父は昭和五十四年九月二十八日六十七歳で亡くなった。骨壷に収められた義父は工事中の住まいをゆっくりと見て回った。完成したアトリエは、しかし、爾来二十年まだ一度も使われていない。

     【 マネータイプと夫婦げんか 】  2002年07月18日掲載
私達のお金との付き合い方には1)貯めこみ型、2)浪費型、3)清貧型、4)逃避型、5)お金志向型があると心理セラピストのオリビア・メラン氏はいう。しかしいずれも極端にはしると人間関係、なかんずく夫婦関係に問題が生じてしまう。貯めこみ型は心配性で、買いたいものも我慢してお金を貯める。立派なことだ。しかし極端に走ると、ことごとく切り詰め、旅行にも我慢して行かない、まして贈り物なんてとんでもないということになり、配偶者から「なんのために生きているの」と非難される羽目になる。
反対に浪費型の人は楽天的で、刹那的、自分の為にも使うが、友人にも気前よく奢り結構楽しく暮らす。しかし分不相応に浪費すると悲劇となる。配偶者はたまったものでない。貯めこみ型と浪費型が夫婦だと、そのストレス度は倍増する。
清貧型は道徳観念の強い人に多く、お金を使うこと、金持ちになることに後ろめたさを感じる。両親から金持ちは悪人だというインプットを受けた人がなりやすい。逃避型は、お金のことは皆目分からない、数字にも弱い、自信も無いからといって、支払いや貯蓄や投資の判断を避けなんでも配偶者に頼るタイプ。その配偶者に騙されたり、死なれたとき悲劇が訪れる。お金志向型は世の中がお金中心に動いている、と思う。それで必死になって稼ぎ、投資に励む。休暇で豪華な旅行に行っても、旅先からでまで証券会社に電話するタイプである。清貧型の人からは蔑まれるし、極端な場合はお金との関係に忙しすぎて配偶者との関係が疎かになる。私達は両親のどちらかのマネータイプを受け継ぐ場合が多い。また子供時代貧乏で恥ずかしい思いをしたとか、意地悪な金持ちに馬鹿にされた等の経験が尾を引いている場合もある。お金が原因で夫婦喧嘩になったら、是非こうした互いのマネー経験を話し合ってみることをお薦めする。存外腑に落ちるのではないだろうか。

     【 小遣いと自立 】  2002年08月05日掲載
小遣を渡されアッという間に使ってしまう子、ひたすら貯金にまわす子、様々である。そもそもなぜ小遣を渡すのかといえば、子供に自立を教える手段と考えてはどうだろう。子供にマネーマネージメントを学ばせる貴重な教材なのである。こう理解すると親としても方針が出しやすい。仮におやつ代、交通費、交際費の出費は子供に任せると決めたら、それに見合う小遣の額を決める。その代り、例え小遣が足りなくなっても親は補填すべきではない。バス代がなければ一時間かけても歩かせる位の覚悟で臨む。子供の自己責任である。ここで妥協すると親は延々と子供にスネカジリされる羽目になる。親に頼れないと悟れば、子供は「無駄遣いし過ぎたかな」と反省し、ひと月小遣がもつように支出のバランスを考えなくてはと気づくに違いない。そこで予算の立て方や、小遣帳のつけかたを指導する。しかし小遣の遣い方は子供にまかせる。すると子供は工夫し始める。買い食いの回数を減らし、貯金してサッカーの試合の切符を買おうとするかもしれない。積極派のこどもならアルバイトをして収入を増やすことも思いつくだろう。そういう時子供の頭はいきいきと回転する。小遣の一定額をまず初めに貯金する癖付けもさせたい。これは子供自身の夢を果たすための貯金なのである。念願のコンピューターを自分でやりくしして買ったとき子供は貴重な経験をする。そうやって自立心もマネーマネージメント術も育っていく。子供のころ付けた貯金癖は後のちマイホーム購入、自分で起業する、そんな夢の実現にもつながる。米実業家のデニス・チトー氏は24億円をだして宇宙飛行をした。彼の母親は「何か欲しいものがあったら貯めなさい」と教育したそうだ。彼は24億円貯めて宇宙旅行という夢を果たした。お金は自分のライフスタイルにあった生活を可能にし、自分の夢を果たすための手段である。貯めることと使うことその両方を子供には教えたい。

     【 安全志向の落とし穴 】  2002年09月02日掲載
私は小さいころから、無人の家に帰るのが怖く、泥棒がどこかに潜んでいるのではないかと各部屋、押し入れをチェックしないと気がすまないほど、臆病というか安全志向の人間であった。当時としては珍しく一生仕事をしようと決意していたのだが、それも、離婚や死別で生活の安定を失いかねない専業主婦にはなりたくなかったからである。もし私が男性だったら確実に最低線の家事はマスターしたと思う。家事のできない男性は生活の安定上もハイリスクグループなのである。
だから安全志向の投資家の気持ちがよく分かる。でも全資産定期預金ではどうしようもない。預金期間中に超インフレがおこれば、物価が高騰し、預金は目減りする。極端な円安でも同じであり、安全志向型としては大いに気に入らない。かと言ってリスク商品への投資に集中すれば心理的負担で時には病気になりかねない。安全指向型の投資家へは資産全体をひとつのプログラムと考え、損をしても安らかに眠れる程度の割合を決めてしまうことをアドバイスしている。その割合は5%でも10%、20%でもよい。そしてその部分は勇気をもってむしろ張り切って投資し短期的な乱高下を気にしないことである。
リスクを必ずしも後ろ向きに捉える必要は無いと思う。リスクの語源はイタリア語で「勇気をもって試みる」という言葉である。実際いくら安全志向の人でも実生活で多くのリスクに晒されている。猛勉強して有名大学にはいり、大企業に就職して一安心と思ったらリストラの嵐にあう。リスクを懼れ、ひたすら安全志向になると、心理的負担は「どんどん」が大きくなる。リストラされたくない、損はいやだと思っていると、なぜか心理的に追い込まれていく。反対に、いじめの対象にはならないぞ、リストラもされないぞ、自分の財産は自分で守るぞ、という気迫があればきっと道もひらけてくるのではないだろうか。

     【 結婚祝いは「寄付」 】  2002年09月28日掲載
イタリア系アメリカ人のファンドマネージャーから結婚式の招待状が届いた。婚約の時に受け取ったEメールは天にも舞い上がりそうで、美しい婚約者の写真が添付されていた。結婚式場はイタリアのミラノから大分離れた所らしい。日本から出向くにはチョット腰が重い。「結婚祝いはいらないからその代わりに」自分達が支援しているチベットの病院基金へ寄付をしてくれという。
日本では赤い羽根や緑の羽根の共同募金、歳末助け合いの募金は別として日常的に他人のための寄付をする人は少ないのではないだろうか。確かに結婚式、葬式のため等に金はだすが、知り合い同志の互助的な色彩が強い。お返しを貰ったりする。ちなみに東西とも寄付や善行は匿名でするのが最高とされている。キリストは、誰かに施しをするときは、右手でやっていることを左手に教えるなと諭した。東洋でも陰徳を積むことが尊ばれる。善行を誰にも知られずにするということである。更には善行をしたのは自分だと思わない境地にも達し得るのだはないか。とはいえ寄付や奉仕活動がもっと一般化するには税制上の改善、日本の風土にあった寄付のやり方、奉仕のやり方が育ってくる必要があろう。そうなれば多くの人が政府の目の行き届かない施設に寄付をし、自分の思い入れのある活動にボランティアで係わり、皆夫々に充実感がもてるのではないだろうか。
人間はどうしても自分中心になってしまう。だから子供には心して、他人のために自分のお金やエネルギーを使う事を教えたい。親が子供と一緒にごみを拾う、献血に付き合わせる、使用済のイオカードを送るなど小さい事でもいい。親は自分の子供に一生懸命尽くす。その一割でも子供と一緒に他人のために尽くせたら、また子供に自分中心とは別の回路も作ってあげられれば、巷間の索漠とした雰囲気も少しは和らぎ、青少年問題解決の一助ともなるように思えるのだが。

     【 時間の節約法 】  2002年10月29日掲載
女性が家庭を持ち仕事を持ち子育てもとなるとどうしても時間が足りなくなる。それでいろいろ工夫して時間の有効活用を図った。一度に幾つかのことを同時に平行してやってしまうのも一法である。私は同時通訳をやっていたこともあっていわばこの道の専門家だ。一石二鳥という言葉も好きで、一石三鳥ならもう嬉しくて震えがくる。朝はテレビでマーケット情報を頭にいれつつ、屈伸運動をしながらリズミカルに歯磨きをする。夜は爪を磨きながら書類の整理をしつつ子供を叱り飛ばす。
平行作業のコツは、同時通訳と同じ原理で、時間を細切れにして瞬時に頭を切り替えて判断することである。それで二つならず三つのことを同時にこなそうと言う訳である。
しかし年をとってくると一石二鳥のつもりが虻蜂取らずになる。屈伸運動をしながら歯磨きなどしたら、歯でなく鼻を磨くはめになる。一石三鳥はおろか、今やっていることに意識を集中させないと、やったかどうかの記憶さえもあやしくなってしまう。
「集中戦法」という手もある。気合をいれて一時間かかる作業を十五分でやる訓練をする。自分を追い込むと確かにかなり短時間で記憶できるし、仕事も片付けられる。締め切り間際なら「火事場の馬鹿力」がでる。しかし問題はその後にすごく疲れが残ることである。
中高年向けには身体にもやさしい「無駄な動きをしない」という高度な戦法がよいのではないかと思う。私達は忙しげに動き回ってはいるものの、心身の無駄な動きが実に多い。やらなくてもいいことをやり、過去の間違いにくよくよし、取り越し苦労をし、他人を妬む。この時間や感情の無駄遣いを省けば、時間にゆとりができ、生活の質の改善にもなろうと思いチャレンジをしている。が、なかなか上手くいかない。マスターするころにはあの世で暇を持て余していそうである。

     【 日本人は好戦的か 】  2002年12月02日掲載
「なにしろ日本人は好戦的だから」とその米人経営者は主張する。「待ってよ、戦争したがっている日本人なんかいないわ。敵が攻めてきたら、逃げるって言う人が多いんだからむしろ腰抜けなのよ」。しかし、呆れ顔の私がいくら説明しても、二次大戦の記憶の為か、侍映画を見過ぎたのか、彼は頑として譲らない。日本の防衛力増強を心配するのはアジア諸国とて同じで、「平和国家日本」に育った戦後派としてはどうもよく解からない。
確かに日本人には皆あっという間に同じ方向を向いてしまう傾向がある。これが「日本人は恐ろしい」に繋がっているのだろうか。毎年一回日本を訪ねてくるスイスの銀行家が、「来るたびに会う人が皆同じ事をいう」と笑っていた。それが「大地震が来る心配」であったり、「起業家精神を育まねば」であったりするそうだ。「日本人はムードに乗りやすいからね」と彼はいう。
もしかして「平和国家日本」もこの口なのであろうか。戦後「平和」というムードに乗っているだけで、状況が変われば瞬く間に好戦的になるのであろうか。自身、資金運用者でもあるピーター・タスカ氏の小説「カミの震撼する日」では経済が破綻して社会が大混乱に陥り、核武装も志向する極端に国粋的な日本の未来像が描かれている。日本人が特に好戦的だとは思えない。しかし自分の軸で物を考えず著しく情緒的であることからくる脆さはあるかもしれない。これは投資でも同じである。日本人の投資は、会社も個人も、合理的に自分の価値判断するというよりは、権威者がいったから、他の会社がやったから、隣近所がそうするからとムードで投資してしまう傾向が特に強く、結果、世界の金融界ではねぎを背負ったカモ的存在として重宝がられてきた。
自分の頭で考えないリスクを改めて考えてみる必要がありそうだ。それと隣近所の行動につられない、「群れたがり心理」の克服も必要だ。

     【 新年の決意 】  2003年01月03日掲載
毎年のことながら、年の初めにこの一年の目標をたてる。時には慌ただしい大晦日(みそか)の一日を終えた後、時には新年のおとそを飲んだ後、一人になって自分と対峙(たいじ)する。
「頑張って今年はこれをやろう」というより、自分の一生の来し方行く末を考え、そのなかで「今後はどういう方向に進もうか、それには今年一年何をしようか」とかじ取りをする。忙しく、時には分単位で流れている時間が、突然ゆったりした流れになる。どうしても気になっていたことが、不意にどうでもよく思えてくる一時(ひととき)でもある。
一年のシナリオを考えた段階で昨年の「新年の決意」と比較する。このところ何年かは、ほぼ同じようなシナリオ作りをしていることに驚く。遅々として進んでいないともいえるが、それでも少しずつ確実に自分の目指す方向に向いて歩んでいることが実感される。自己啓発の書物には、年間のみならず月、週、日単位の目標設定が提唱され、私も、姿勢を正すの、一日一善の、と励むがこちらのほうは毎年途中であえなく挫折してしまう。
「新年の決意」を書いていて、ふと気になる。もしかしてこれが最後の「決意」になるのではないかと。あと一年、あと半年の命と宣告されたら、いったいどうするだろうと自らに問いかける。多分、本当に大切なことをひたすら追求するだろう。でも、そんなに大切なことがあるのなら、なぜ今すぐにやらないのか。同じセリフがファイナンシャルプランナーの大御所の本にも書いてあった。何にお金を使うのか、あるいはためるのか、どういうスタイルの運用をするのか、そして一生のマネープランの決定も、みなこの「あなたはどういう風に生きたいのか」にかかっている。そして、それを明確にするために前述の問いかけが有効というわけである。
今年もまた「新年の決意」を書いてみた。今年こそは、すべてうまくいくような気がする。

     【 女四代が作った結晶 】  2003年02月02日掲載
私の母方の祖母は一八八〇年生まれ、従兄弟にあたる祖父と結婚して十人の子供をもうけた。小学校しか出ていなかったが、学歴もあり、会社を上場までさせた祖父より威張っているようにみえた。毒舌ぶりも冴えていた。しかし九十歳になっても「女は勉強をすると生意気になる」と、上級学校への進学をあきらめさせられたことを嘆いていた。
祖母の夢を託された母は、活発で勉強もできたそうだが、十九歳であっさりと学者である父と結婚し、六人の子供をもうけた。一九一〇年生まれの母は、一生仕事にはつかなかった。しかし「この子はなにかやるゾと言われて育ったのよ」と自慢するだけあって、子供のオーバー・帽子から玩具づくり、家の設計にお金の管理までなんでもやってしまった。
八十歳になったとき、「もうやりたいことは、皆やったでしょう」とうっかり聞いてしまい、反撃を食らった。「とんでもない。まだやりたいことは沢山あるのよ。こんなに子供を産むんじゃなかった。」母も祖母に似て口が悪かった。
その毒舌を受け継いだ娘三人は、皆大学を出、家庭に入ってからも職業を持ち続けた。姉は一九三六年生まれだから当時としては非常に珍しい。別に母親から夢を託された覚えはないが「女だからこれをしろ、これをするな」といわれたことは一度もなく、兄たちと同じように育てられたためか、ごく自然に同じように仕事についた。しかし、時代の影響もあり、私たち姉妹の場合は、家庭第一で、その余力で働くという感じであった。だから、私も配偶者に気兼ねをし、職業も子供の年に合わせて三回も変えた。
ところが、姪(めい)たち次の世代の女性群はと見ると、政治家、医者、学者として生半可ではできない仕事を、実にアッケラカンとこなし、結婚に際しても、姓はジャンケンで決めたと勇ましい。
眩(まぶ)しく見つめるとともに、彼女達のなかに祖母、母、私たちの熱い思いをみる。四世代で作り出した結晶である。

     【 日本人の誇り 】  2003年03月15日掲載
アフリカのガーナ、エチオピアに行ってきた。ガーナの貧しい小さな島ではパンツだけはいた子供が人懐っこく私に手を重ねてきた。黒い小さな顔に輝く目が堪らなく可愛かった。大人たちはさとうきびを裂いて、のんびりと何故か楽しげに酒作りをしていた。片や豊かな日本ではストレスに押しつぶされたような暗い顔が目立つ。確かに日本が抱える問題は多いが、問題の無い国などどこにもないのである。暗くなっていたのではそれを克服する気力もでてこないではないか。
長く独立を守ったエチオピアと日本には歴史上多くの類似点があるという。世界遺産のラリベラの石造芸術の素晴らしさに息を呑む。しかし現在ではエチオピアは貧しいアフリカの中でも最貧国。どこへ行っても物乞いをする子供、大人に囲まれてしまい、切ない。片や日本は世界の経済大国である。
ロンドンにも一週間滞在したが、地下鉄の幹線の一つは止まったままであった。日本では考えられない。ジャーナリストがあまり日本を「過去の国」のように言うので、ニ時間毎に配達指定できる宅急便等の自慢を一杯してきた次第である。
でも確かに現在の日本人は根無し草のように頼りなくしかも元気がない。ナチに戦争の責任を被せたドイツと異なり、日本は戦争の原因を日本文化、日本的なものに負わせ、それを否定してしまい、結局そのつけを物質的に豊かになった今払わされているのであろうか。国の歴史、祖先たちの経験の蓄積が現在の私達を作っているのである。それを否定したのでは誇りももてないし、日本の個性も発揮できない。明るさも出てこない。
こんなことを考えながら歩いていたら危うくロンドン名物の赤い二階建てバスに轢かれそうになった。海外へ出ると自分が日本人であることを強く意識し、世界の中での日本の位置付けを改めて考えてみたりする。

     【 可哀想に要注意 】  2003年03月30日掲載
戦争が始まった。米国はベトナムでの体験から戦争の悲惨さを茶の間に届けないようにしているという。例え敵方であろうと、罪のない子供が爆撃されて泣き叫び、妊婦が逃げ惑う様をテレビが放映すれば「可哀想」と誰もが思い、反戦運動がたかまってしまうからである。それで湾岸戦争では報道規制を敷いた。政府に雇われたPR会社が、イラクはこんな酷い事をしていると「可哀想」なビデオを流したが、あれはヤラセだったと後で報道された。今度の戦争でも「可哀想」な画面が意識的に流されることだろう。
この「可哀想」という言葉を日本人はしばしば口にする。私は「何かおかしい」と思うことがある。
例えば、運動会の25メートル走でビリッケツになる子がでては「可哀想」だ。だから皆手をつないで同時にゴールするという話を聞いた。どこかおかしい。徒競走が得意な子は出番がなく「可哀想」ではないのか。大体こんな事では競争社会の現実から隔離されたひ弱な子供を作ってしまうのではないだろうか。
親子で子供の小遣いの額を決め、その範囲ですべて賄うと子供も約束する。ところが、買い食いし過ぎて遠足に行くのに菓子が買えない。ここで「ああ可哀想!今回だけは例外で」という親は子供に「自己責任は取らなくていい」というメッセージを送ってしまう。こうして親は、なし崩し的に小遣いの補填をし続ける羽目になり、「可哀想!」と愛情深く育てられた子供は本当に「可哀想」な子供に育っていくように思える。親の言いつけを守らず、トラブルに巻き込まれた子供の後始末も「可哀想」と親がしゃしゃりでる。この子供はいつになったら自立できるのだろうか。日本人はえてして感情、ムードに偏った判断が多いように思う。特別心が優しいのか「可哀想」で物事が決まってしまう。日本で独裁者が登場するとすれば、きっとこの可哀想症候群を利用するに違いない。

     【 街に溢れる健康法 】  2003年05月01日掲載
資産家の資金運用の仕事に携わっていたが、資産の相談の次によく健康の話を聞いた。なんで私が他人の便の太さや色の変化、不整脈の回数まで聞かなければならないのかと思ったが、顧客によっては、お金のことより健康の方に関心がある。世の中にはお金がなくなる心配ばかりしているお金強迫症の人も多いが、病気になるのではないかと思い煩う病気強迫症の人も沢山いる。そういう人は、例えば尿の色から泡の状態まで細かく観察し、病気になるより早く医者通いをする口である。
昨今は病気といっても慢性病、いわゆる生活習慣病が中心だから、先進諸国では東洋医学を含むいわゆる代替医療の人気がすごい。またマイナスイオン活性器などの癒し系小道具も街に溢れている。実を言うと、私は健康法に目がなく、世界中の健康法のいわば試しオタクである。試すというよりは心底から効くように思えるのである。それで、サプリメントを山のように服み、呼吸法で60兆の細胞の活性化を狙う。フロー・エッセンスプラスだの、お酢もガブ飲みする。自律神経調整法にも通った。ネパールの伝統医学の大家の診察をうけ、台湾式の足裏指圧の拷問にも耐えた。といっても肝心の生活習慣は改めないものだから、効果は今ひとつである。尤も、効果があったとしても同時並行で色々やるから、どの健康法の効果か定かではない。
今一番興味をもっているのが若返り効果も期待できるインド式毒素除去術である。インドでは、病気は体に発生する毒素によりひき起こされると考えられている。その毒素を除去するパンチャカルマの療法を受ければ慢性病が治り、脳溢血の後遺症で半身不随になった人でも体が動くようになるという。しかし、こうした海外の療法やサプリメントも日本にはいると何故か値が一挙につりあがってしまう。それで最近健康産業に貢ぐのをやめ、地道に生活習慣の改善で健康の維持を図ろうかナとやっと考え始めた。

     【 終結のノウハウ 】  2003年05月24日掲載
昨今は創業が喧伝されており、会社設立のノウハウ本は所狭しと本屋に並んでいる。確かに起業は至難の技だが、会社を清算することも大仕事だ。こじれがちな人事整理には勇気もいる。人格も問われる。タイミングを計る決断力もいる。だがこうしたノウハウを記した本はあまりみあたらない。
会社の清算ほどドラマチックではないが投資に関してもしかりである。投資を勧める際はあれこれ数字を挙げて喋り捲るセールスマンも、解約のアドバイスとなると頓とさっぱりである。折角よい投資をしても「儲かっていますから、他のに乗り換えましょう」と要らぬお世話の電話が掛かってくるのが精精だ。投資をする時にはどういう状況になったら解約するか、予め心づもりをしておくことも大切だ。投資をやめるに際してのノウハウがもっと欲しい。
考えてみれば退却とか終結のノウハウ不足はなにも経済活動に限ったことではない。別れ、離婚、失業どれをとってももっと研究され、そのノウハウがの提供があってもよいよいのではないか。何事も始めるときは勢いもあるし、楽しい。いろいろ世話を焼いてくれる人もいればノウハウ本もある。だがやめる時、退くときはどうだろうか。事情が複雑で周囲のサポートは期待できないかもしれない。後ろ向きの話であるが故に、エネルギーの消耗はより激しい。心の傷の手当てもいる。先人の教えや経験談、そして調査研究から来る「知識や知恵」で武装したい。そうすれば辛い経験も前向きに捉えられるのではないか。
これは人生の終結である「死」についてもいえよう。無論自分はどんな死に方をしたいか、どんな人生の終わり方をしたいかはっきり決めたとしたって、その通りになるものではない。しかし私は死生観を持つほうが充実した生き方ができるように思う。自分の葬式のときどんな弔辞を読んで貰いたいか、それを自分で書いてそのとおり生きようと提唱する人もいる。終わり方を考えた方が見極めがつくということであろうか。

     【 体からのメッセージ 】  2003年07月04日掲載
私は今までに一度だけ気絶したことがある。その時は苦労していた企業買収の話が佳境にはいり、アメリカで2日間徹夜に近い交渉で疲れていた。ほぼ話が纏って帰国のためロスアンジェルス空港についたとたん電話がかかり、話しを振り出しに戻したいという。頭にカッときてお酒を飲んだ。搭乗したシンガポール航空の中でまた飲んだ。トイレに立ち上がったところで意識が無くなった。ふと気がつくと私は通路の床の上でのびていたのだ。大勢の客室乗務員にとり囲まれ、ありとあらゆる言語で話しかけられていた。顔中にタイガーバームが塗られ、ひりひりする。映画で見るヒロインがふっと恋人の腕のなかに倒れこむロマンチックな気絶とは大違いだ。
結局この買収の話は実を結んで私はほんのひと時達成感を味わう。でもまた次の日から、あらたなプロジェクトに取り組んでいた。よくやったと自分を褒めてやることもせず、休みもとらずに。プロジェクトは仕事上のものから看病とか、年賀状出しといった家庭レベルまで大小様々である。そしていくらこなしても終わりがなく、逆にこなせばこなすほど増える。にんじんをぶら下げられた馬のように走るというが、走りながら馬は楽しんでいるに違いない。目的の為のみに走るとどんどん疲れてくるし、何の為に走っているのだろうと疑問がでてくる。「楽しみながらやるに限る」と、やっと遅まきながら方針転換する。ところがいくら頭で言い聞かせても体は正直で、自分に合わないこと、嫌なことをしていると健康に問題がでてくる。こんなことも若いうちは無理が利くので気付かなかったが、これからはもっと自分の体の声に耳を傾けた方がよさそうだ。心理学の分野ではこうした体の発するメッセージを読み取るテクニックも開発されているらしい。心が晴れやかになること、そして体が嬉しがることをもっとやりたい。まかり間違っても気絶するような無茶はやめようと心に誓っている。

     【 祖父のカルタ 】  2003年08月03日掲載
母方の祖父の誕生日に「いろはカルタ」を拵って贈った。多分80歳の誕生日の時であったように記憶しているが、今となっては定かではない。私はまだ幼く何もしなかったのだが、母が中心となり兄弟四人で祖父の人となりをいろはカルタにまとめ、「絵」も付けた。色鉛筆や鉛筆での労作である。祖父八十歳の誕生日とすれば1949年、昭和24年のことで物がまだなかった時代である。おそらくボール紙を切り、紙をはりつけて作ったのであろう。丁寧な仕上げであるが一枚一枚微妙に寸法が異なっている。読み札は母の筆跡で墨で書き込まれている。
膨大なエネルギーを費やして「いろはカルタ」は完成する。が、いざ渡す段になって、もしかしたら祖父に怒られるのではないかと、皆心配し始めたという。祖父の「くせ」なども直截に書かれているし、果たして大長老である祖父はこの前代未聞のプレゼントを受けとってくれるかーー大長老には犯しがたい威厳があった時代のことである。そこで急遽、この「いろはカルタ」は祖父のお気に入りだった五歳の私、「節ちゃん」からのプレゼントということになった。
結局祖父はこのカルタを気に入って、生前はずっと手元に置いてくれたが、五十年を経て名目上の贈り主である私のところに戻ってきた。もう既に札の幾つかは紛失していて、食べこぼしの跡や指紋のあともある。
読み札の中に「駅にはいつも一汽車前」を見付ける。実は私も用心深く、どう頑張ってみても駅には三十分前についてしまうのである。「心配製造合名会社」や「病気よりお医者の方が先に来る」も着実に母を通して私に受け継がれており、思わず笑ってしまう。一人で所持しているのは勿体無いと思い、また祖父と直接面識のない次の世代にも知って貰いたい、そんな気持ちもあって複写本を作ることにした。今から五十年後、子孫達はどんな思いでこのカルタを手にすることであろうか、考えると楽しい。

     【 女性におもねらないで 】  2003年09月08日掲載
NHKの大河ドラマを見なくなってから久しい。いずれも歴史ドラマであるのに、登場する女性がすごく強く自我を主張し、それが通ってしまう。私の歴史観が狂ってしまいそうなので見ない。日本で女性が法的に同権になったのは戦後であり、それ以前例外はあったものの、社会的な物事の決定にそれほど女性が力を及ぼしたとは思えない。とてもではないが、当時の女性が言い出しそうにないセリフが次々と飛び出すのは奇異に感じる。今風に歴史上の女性を描くのは視聴率を気にしての女性視聴者に対する「おもねり」としか思えない。女性に対する差別もまだ日本社会では厳然として存在するが、この種の女性に対する「おもねり」も近頃は目にする。
「女性が自分にあったやり方で自由に羽ばたくのを応援しよう」「女性の考え方にもっと耳を傾けよう」「もっと自信をもって」という女性に対する応援はうれしいが、おもねっては欲しくない。
私は日本社会の活性化のためにも女性パワーに大いに期待している。旧来の体制、考え方が時代に合わなくなって方向感を失っている昨今、従来の発想に縛られていない、女性のフレッシュで素朴な感覚がこれからの社会の道づくりのきっかけになるように思う。今まで男性社会で当たり前とされてきたことでも、しがらみの少ない女性だからこそ「それはオカシイのでは?」と言いやすい。また米国を見ても、移民・黒人・女性という異なる要素を社会の中核に受け入れることで活性化してきたように感じられ、移民などほとんどいない日本では、女性の参画が「希望の星」であると心底から信じている。
私はロータリークラブの地区女性委員長であったので、この種の講演も多く行った。しかし、実際に「希望の星」であるためには切磋琢磨して実力をつけていくことが肝要であり、おもねられると人は努力を忘れ、野放図になってしまいがちだ。女性の地道な進出にとっておもねられることは大敵なのである。

     【 粗忽者同士 】  2003年10月10日掲載
日曜日の朝、ふと気付いて携帯の着信記録をチェックする。10:06「榊原」とある。別々に住んでいる成人した息子は独身の所為もあってなかなか捉らない。「やっと電話してきた」と、勇んで返電する。同時に我が家の電話機が鳴った。「さっすが親子だ。気持ちが通じた」と携帯を切って電話に出た途端に切れてしまった。変だなとかけ直す。また我が家の電話がなる。「これはイタチごっこだ」と電話に出る。また切れる。これを4回繰り返してやっと息子とではなくなんと自分自身でイタチごっこをしていたのに気付く。
私は早とちりのうえ、モーションも早い。が、それに頭の回転の方がついていけないのか、まったく回転しないのか、ともかく粗忽者なのである。
新幹線も熱海に行くのに「ひかり」に飛び乗って名古屋まで行ってしまう。一人ならまだしもグループを率き連れてである。間違えずに無事乗れたとしても、今度は切符が出てこない。広島で乗って東京駅まで4時間探し続けたが見つからず自宅に帰ったら途端に出現した。
神様は気の毒がって粗忽者に同士をお与えになったらしい。結婚した相手の父親である。心臓外科の教授をしていたが、耳鼻科で入院している患者の心臓を診て、「もう治りました」と言ったという。結婚式や旅行に出かけて早々に帰ってくるのは日取りを間違えているからだ。葬式に行けば他人の靴を履いて帰ってくる。手術室から仲人をする結婚式場に直行し、上はモーニングを着ていたが靴は手術室のものだったそうだ。
夫は義父よりは「まし」という触れ込みであったが、バレーボールのネットに引っかかって腕を骨折するくらいだから大して「まし」とも思えない。その粗忽者同士の子供はと云うと、一人は生まれてこの方一度も慌てたのを見たことがないほど落ち着き払っている。もう一人は身分証明書を4-5回失くす程度で、それほど重症というわけではない。

     【 似て非なるもの 】  2003年11月08日掲載
北極圏でハイキングに挑んだ。スウェーデン北部のアビスコを基点に、なんと450キロにもおよぶ「王様の散歩道」がある。九月上旬であったが、コケや潅木の茂みはもう鮮やかに紅葉していた。森林限界に近いためか、白樺は人の背の丈ほどしかないが、童話の世界に出てきそうな巨大きのこが点在している。
急流の川沿いを、そして湿地帯に設けられた木の道をこわごわ歩く。突然視界に湖が広がり、日本の景勝地の何倍かのスケールの眺望が次々と展開され圧倒されてしまう。しかも三十分に一回程度しか人に出会わない。
一息いれて茶を飲み、足元に生えるブルーベリーを採って食べた。それと似ているが、ゲッとするほどまずいクラッカという実が混在している。教えてもらえば、葉の形状や実の色が微妙に違うのに気づくが、初心者は間違えてしまう。まるで金融商品のようだ。
金融商品には同じ債券という名がついていても、投資対象はごく安全でもうからないものからリスキーなものまでさまざまである。安全という「うたい文句」とは裏腹にMRF(短期公社債投資信託)のような堅い債券とは全く似て非なるものがある。それを初心者は「一見」だけで判断して思い違いの投資をしたり、詐欺にあったりしやすい。専門家の意見を聞くことをお勧めする。
だが、自分の利益や保身のためではなく、顧客の利益のために、しかも広い視野に立って「どんな利益が期待でき、どんなリスクがあるか」と良識あるアドバイスをしてくれる専門家は少ない。「買え、買え」か「やめとけ」かどちらか一点張りの人が多い。ともに投資家の方に顔が向いていない。
これが日本では大きな問題だと思う。金融商品が複雑化し、お金がグローバルに動く昨今、こと投資に関しては実はほとんどの日本人は初心者なのである。間違えてクラッカを食べてもまずいだけで体に害はないが、投資では深手を負ってしまう。

     【 プラス思考 】  2003年12月05日掲載
目覚めているともまだ眠っているともいえないもうろうとした意識のなかでその声が聞こえる。「ああ昨日、社員が言っていたのは本当はこういう意味だったのか」「しまった、契約のなかに秘密保持条項がない」「今日はYさんの定期預金の満期日だ。為替のことを忘れるな」。この朝の囁きは、一体誰がしてくれているのだろう。守護神、先祖、あるいは私の無意識なのか。この囁きに何度も助けられている。
ときにとてつもなく素晴らしいアイデアのプレゼントもあるのだが、残念ながら失敗の指摘の方が多く、ルンルン気分での目覚めはまれだ。それでプラス思考の洗礼を受けてからは、「今日また生きて目覚められてよかった」と朝一番にまず感謝することにしている。すると少し心が温かくなる。
昨今は積極思考、イメージトレーニングなどが盛んで、「心地よい気分を維持して脳内モルヒネを出せ」「絶えず成功イメージを持て」「マイナス・イメージはするな」といった考え方が喧伝され、本も数多く出ている。
悲観的で心配性、反省大好きの三重苦を背負った私にはなんとも助かる教えで、自分流に導入しようと躍起になっているのだが、なぜかうまくいかない。
ところが、私の周囲でも生まれながらのプラス思考の達人をときに見かける。一顧だにされずに振られたのに、「本当は彼女はボクが好きなんだけれど正直に言えないのだ」と考えるらしい。単に努力不足で失敗しても、「ここで失敗するのがベスト」とまったく落ち込まない。
現実をもっと直視した方がいいのではないか。厳しく反省しないとまた同じ間違いを犯すし、第一これでは進歩がないと、逆にこちらの方が重い気分になってしまい、あわてて「ここで不安を覚えるのは私にはベスト」と訳も分からず切り返す始末だ。プラス思考はなかなか身につかない。でも、毎朝のワクワクした目覚めを希望に努力し続けよう。

     【 小遣いはメッセージを伝える 】  2004年01月10日掲載
お金はセックスと共に人生の極めて重要な動機付けであろう。お金にはエネルギーがある。従って小遣いは無意識のうちに強烈なメッセージを伝えていく。例えば子供が小遣いの管理に失敗し、困るたびにお金をあげている人は、「自己責任を取らないでいい」「何かあったら誰かを頼ればいい」というメッセージを暗に発してしまっているのである。そうやって育てられた子供は、いつも他人を当てにし、何か事が起これば他人の所為にする頼りない大人になってしまう。
「小遣いの額はお隣のXちゃんと同じにしよう」と提案する親は、「他人と同じようにするのが無難で一番」、「判断は他人まかせ」のメッセージを送っているのではないだろうか。勿論世間相場を知るのはよいのだが、小遣いがどの分野をカバーするか、学用品は子供負担にするかどうか、また各家庭の経済状況次第で金額は自ずと異なってこよう。親は、「自分の家はこういう方針だ」とはっきり示して欲しい。日本に独自外交がないと非難するのなら、私たちもせめて子供の自己確立を促す位の独自性を示して然るべきではないか。
小遣いを与えた後も、親が煩く、あれはダメ、これはするなと言い、果ては使い方まで決めてしまうことは、「どうしてそんなにダメなの」と言っているのに等しい。親は愛情の発露と言うかもしれないが、子供は、ある日「実は親にコントロールされていたんだ」と気付き、愕然とするのではないだろうか。反対に、子供の不機嫌さや抵抗に屈してしまったり、或いは「問題を起こされたら大変」と初めから子供におもねるような親は「私は子供の家来です」というメッセージを伝えてしまうに違いない。
小遣いの与え方、指導の大切を訴えた「金銭教育」を書いてから2年が経つ。やっと最近ぼちぼちその重要性が認識され始めてきたように思う。

     【 中国の女性企業家 】  2004年02月06日掲載
最近、化粧品関連の仕事で中国の女性経営者たちと会う機会があった。彼女らは一様に颯爽としていた。起業して成功を収めているが年はまだ三十歳台であろう。そんな一人、Oさんに何故起業したか聞いてみた。「面白そうだからヨ、美容院を始めたらよく儲かって、それでレストランも始めてみたの。もう十二件目よ」と軽いノリである。そのレストランのインテリアがまたなかなかのものなのである。毛皮のコートに最新流行の靴を履き、BMWの新車を乗りこなす若干三十歳の京風美人であった。
Sさんは美容学校を経営しており、江沢民も視察に訪れたそうだ。どんな女傑かと思えば、女優ともみまがう楚々とした美人で、講師陣を従え、ヘアーや化粧の技術だけでなく、生徒たちにデッサンからカラーコーディネートまで教えている。力強く伸びている業界とあって入学希望者は多く、卒業生1万人の就職の世話もするらしい。
そんな美容、化粧品業界の大会が北京の人民大会堂で中国全土から代表者を集めて開催された。会場に溢れる女性経営者のパワーとスピードに圧倒されてしまう。豊乳エキスで政府の賞を獲ったというTさんを紹介される。気軽にパンフレットを頼んだら、なんと直ぐ会社のある重慶市にとって返し、2日で日本語のパンフレットを作り、大量のサンプルを携えて戻ってきた。
中国経済が自由化されてから間もないので、ビジネスでは若い人達のほうが圧倒的に有利なのであろう。彼女たちは年代的に文化大革命などには全く影響されなかったのだろうか、皆明るく屈託がない。日本の女性のように子育てとキャリアーの軋轢に悩むことも少ないのであろう。子供は一人だし、子供を預けて働くカルチャーも共産主義下で培われている。急激に社会が変化する中国で羽ばたく女性たち。「何をグダグダ考えているのヨ。やってしまった方が勝ちよ」そんな声が背中から聞こえてくるようだ。

     【 まじめ人は損 】  2004年03月10日掲載
世の中には超まじめな人がいる。こいう人は、年賀状を受け取れば、失礼になってはと、記憶に定かでない人にまで返事をだす。仕事を先ずともかく片付けようとするのでなかなか遊べない。能力が高いと、頼まれる仕事の量も幾何級数的に増え、ぶつぶつ言いながらも周囲の期待に応えるべく働き続ける。家族の心配をし、他人のことまで気を遣って、自分のことはいつも後回しになってしまう。
どういう訳か、まじめな人は努力が必要な損な役割ばかりを引き受ける羽目になる。それにもメゲず、しかも自分にご褒美をあげることもせず、ひたすら次々とハードルをクリアーしていくうちに、体や心が「もう勘弁して」と悲鳴をあげる。鬱や「燃え尽き症候群」の症状がでて、漸く周囲も自分も「どこかおかしい」と気付く。
「几帳面すぎたかな、もっといい加減になろう」と反省し、まじめに「いい加減になる」努力をする。 「仕事も期限通り自分に納得がいく内容で仕上げようとするから大変になるのだ」と覚り、「なるようになるさ」と自分に言い聞かせるのだが、なかなかうまくいかない。
「好きなことをしてみたら」という友人のアドバイスも、常日頃やるべきことを中心にやってきた身にとっては、一体自分には好きなことがあるのかどうかもはっきりしない。このような超まじめ人間は特に女性に多い。そして、まじめ人にとって、いい加減人との戦いは圧倒的に不利である。色々なことが気になってつい面倒を見てしまうからである。まじめな母親といい加減な子供では、母親にまず勝ち目はない。
考えてみると、日本は「まじめ国」で、国連の分担金や各種義捐金も律儀に払う。が、内向的な国民性の故に、その貢献のアピールができず、かえって文句を言われ、それをまたまじめに反省したりする。几帳面なので行動が読まれやすく外交面でも馬鹿をみている。「まじめ」はどうみても損だ。

     【 一人のための本 】  2004年04月13日掲載
最近、次男一人のためだけの、誕生から中学入学までを記した本を作った。
母子手帳の記載事項から始まり、初めて立ったときの写真、大好きだった絵本、4歳の時の天才的な絵、祖父の事を書いた作文、「ここはオレのへやだ。ノックをしてはいれ」の色あせた張り紙。数々の写真ともどもスキャナーに取り込み、年代記風にまとめた。
当時の日記を引っくり返して、一人で立った日時やその感想、本人は絶対に知らないエピソードなどを書き添えた。整理をしていたら、なんと小遣いの使い方に関する契約書まで出てきたのには驚いた。武士であった榊原家の教育方針らしきものも私なりにまとめた。
女性が働きながら子育てをするとき、かなりの時間と気力が仕事にとられ、子供に十分してやれないことがどうしても心にひっかかる。子供達が小学生だったのは昭和50年代だから、お母さん達は大方が専業主婦、その中で大雑把な面倒しかみてやれない我が子が可哀相に思えた。
「そう思うと子供も自分を可哀想がるから良くない」「日本の母親は世話をやきすぎよ」「母親ばかりが自分を責める必要はない」と、色々アドバイスや励ましを受けたが、特に次男に対しては、幼稚園の芋堀りに一緒に行けなかったこと、粗末な弁当や食事、中・高校の入学式や卒業式への欠席など、子供が無事成人した後も私はまだこだわっていた。
そこで時間のゆとりが出来たのを期に次男一人だけのための本を作ったわけである。そして「なんだ私も相当気を入れて育てていたんだ」と、やっと反省魔の私も一息ついた。
改めて読んでみると遺言のようでもある。遺言で死後の資産の分配ばかり記すのはおかしいのではないか。
本当の遺言というのは、命のバトンのメッセージ、自分が父母はじめ祖先から受け継いだもの、それに自分なりのインプットを加味したものを後世に伝えることではないだろうか。

※これらの原稿は産経新聞編集前のものであるため、実際に紙上に掲載されたものとは必ずしも同一ではありません。