健康と良い友だち『平成健康歳時記』 掲載記事
<執筆・著作紹介へ戻る>

     【無医村に嫁ぐ】  2002年06月01日掲載
私の義父は榊原仟(しげる)といい、日本の心臓外科のパイオニア的存在であった。結婚した当時夫は医学生で、親類縁者に医者はごまんといた。こういうところに嫁にいくのだからと実家の母は大安心していた。ところがあにはからんや、私は全くの無医村に投げ込まれたのである。
新婚早々指に怪我をした。義父に見せると言下に「唾を付けておけば治る」という。なにしろ外科の権威が言う事だから、私は一日に何回も入念に唾をつけて治るのを待った。しかし、傷はどんどん悪化しとうとう爪の中まで膿んでしまった。
長男が誕生すると義父は狂喜し、毎日でも一緒に遊びたがった。そのころは東京女子医大の心臓血圧研究所長をしていたが「お孫さんの話になると、急に他の事が聞こえなくなるので困る」と、先生方に文句を言われた程である。
その孫のお腹におできができた。 義父に見せると「ああこれはおできだから様子を見るように」という。毎日見せるたびに「少し大きくなったなあ、まあ様子をみるように」といっていたのだが、その間にもおできはどんどん大きくなり「切開するように」と言い出したのが元旦の朝だった。実家の母が「だから言ったでしょ。普通のお医者さんに診て頂きなさいって」と怖い顔をしていた。
このように私は医者部落に嫁ぎなら、ほぼ無医村にいるような状況だった。でも不思議なことに結婚前は華奢で丈夫でなかった私が、この無医村生活で鍛えられ頑丈になった。それには義父の人間の自然治癒力を信じ、後は明るい気持ちで暮らせば大抵の病気は逃げていくという信念の影響が大きかったように思う。
義父は一万例もの心臓手術をしたが、所詮医者の仕事は人間の自然治癒力に手を貸すぐらいのものだといっていた。そして毎日可笑しい事を見つけて、明るく生きることを勧めていた。単純なようで最高の健康法なのかもしれない。