お金とうまく付き合うにはどうしたらいいのだろうか? このような疑問に答えて榊原さんが出した本、その名も『金銭教育』が参考になります。金銭教育を身に付けるための、本書にはさまざまなノウハウが随所に見られます。榊原さんに、本を出したきっかけや哲学などを聞いてみました。
- 宮西
- 「金銭教育」って本当に大切ですよね。より豊かな人生を送るために、この世の中でお金は無くてはならないものですが、今までの日本の風潮を見ていると、お金に細かい人を卑しいとか、お金のことを口に出すのは、何か「はしたない」とか考える習慣があったように思うんです。
- 榊原
- お金に対する教育というのは、人生をどう生きるか、そのものだと思うのです。お金は生活と密接に結びついており、子供は親の金銭感覚を参考にしますよね。親がお金に関して一貫性のある考えと態度を持たなければいけないと思うし、今まではどうあれ、今後は、金銭教育においても子供に対するしつけは絶対に必要なことだと思っています。つまり、お金に関する正しい知識を持ち、お金を扱う訓練を受け、お金とうまく付き合っていくべきではないかと思うんですよ。金銭を通して自立やサバイバルや人に対する思いやりを教えることができると思うんですね。
- 宮西
- おっしゃる通りですね。
- 榊原
- たまたま「お金」という形態をとっているけれど、自分に責任をもって生きるという意味では、教育問題でも健康問題でもまったく同じことだと思うのです。
- 宮西
- 榊原さんご自身も小さいときから金銭に関してはきちんとしたお考えをお持ちだったのですか?
- 榊原
- そうですね。私自身、子供のころからすごく自立心があって、自転車も自動車も自分で買いましたし、海外留学も自分で稼いだお金でいったので、もともと自立の魂が宿っていたのかもしれません。
- 宮西
- 自転車も自分で買われたのですか?
- 榊原
- おこづかいだけでは足りなかったから、ちょっと金回りのいい兄には融資してもらいました。その代わり自転車購入後は無料で乗ってもいいという条件をつけたんです。金回りの悪い人は融資は無理だから、購入後乗りたい人は、1回30円と決めて、乗るときにはお金をもらったりしましたね。車も中古ですが、自分でお金を貯めて買ったんです。
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- 宮西
- お父様が物理学者ということですが、ご両親のご教育のたまものでしょうか?
- 榊原
- いえ。私の場合は、両親からは、お金のことは習っていません。私がもともとそういうたちだったのです。先日、祖父が80歳になったときに家族全員で作った「歌留多」が出てきました。祖父の人柄やエピソードをイロハ歌留多にしたものなのですが、なんと、「お」のところには、「おこづかい 使わないのが ご自慢で」とありました。ですから祖父もお金を使わない人だったと思います。実業界の人でしたが、そういう気質が自然に母に伝わり、私に伝わったのかもしれないですね。ただしメッセージというのは、「言うメッセージ」と「言わないメッセージ」と両方ありますよね。そういう意味では、母は、「言わないメッセージ」で私に伝えてくれたのではないかと思います。口に出してお金のことは特に何もいいませんでしたから。
- 宮西
- 留学されたのは何歳の時ですか?
- 榊原
- 20歳くらいから投資も始めていましたが、留学したのも投資を始めたころで、国際基督教大学にいたときです。学費や生活費の奨学金も全部もらって、アルバイトをたくさんして、おこづかいを自分で捻出しました。往復の船賃だけを両親に出してもらいましたけど、両親は得したと思いますよ。1年間、船賃だけであとは、いっさいお金がかからなかったのですからね(笑)
- 宮西
- どちらに留学されたのですか?
- 榊原
- マウント・ホリヨークというアメリカでいちばん古い女子大です。セブンシスターズの中の学校で、『あしながおじさん』に出てくるような、つたのからまったアイビーリーグのような校舎でした。夜は毎晩ろうそくの光に照らし出されたテーブルを囲んでのディナー。ウエイトレス付きでしたよ。週に2度は正式なディナーでしたから、このときは、正装しなければならなかったんです。
- 宮西
- そのように格式のある大学に入るのは、いろいろ大変だったでしょう?
- 榊原
- 私は作文が得意だったから(笑)。こういう研究をしていますとかいろいろ書きましたら、合格しました。
- 宮西
- どういう研究をされていたのですか?
- 榊原
- 世の中全般にわたる研究といったらよいかもしれません。実際に好奇心が旺盛ですから、他の大学の授業を聞きに行ったり、新興宗教だって聞きに行ったり、行けるところはみんな行きましたからね。この世の中は、いったいどのように動いているのだろうと興味津々で。アルバイトもたくさんやりましたよ。モデルから呼び込みまで。本当にたくさんの種類のアルバイトをしました。
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- 宮西
- アメリカには何年間いたのですか?
- 榊原
- 1年です。日本に戻って、4年で卒業しました。それも交渉して。自分のやりたいことは自分でやる、人には迷惑をかけないことが私のポリシーですから。
- 宮西
- 大学を出たあとに就職されたわけですね。それも自分が行きたいところに?
- 榊原
- 帰ってくるのが遅くなってしまったので就職活動には不利だったかもしれませんが、それでもテレビ会社と東京プリンスと両方の会社に合格しました。結局、東京プリンスで週4回の海外宣伝の仕事に就きました。そうしながらも別の日は社長さんに英語を教えたりして、かけもちで(笑)働けるわけです。お稽古もできるし都合よかったんです。
- 宮西
- お稽古は何を?
- 榊原
- お花などの一般的な花嫁修業です。
- 宮西
- それからご結婚されたのですか?
- 榊原
- そうですね。結婚したときは、外国特派員の助手をしていたのですよ。子供ができたらもう動けないから、今度は英語塾の経営をしました。その後はアメリカや福井に行ったりしたので、ボランティアをしたり、通信教育などを受けたりしていましたね。
帰ってからは同時通訳を始めました。同時通訳は集中的に働くから、子供が小さいうちは、ライフスタイルに合っていて、とてもいいんですよ。10年間同時通訳をやり、企業買収専門家になり、今度はフルタイムで最前線で働いて、今の会社を作ったのです。
だから、私の職歴は家庭生活におけるライフスタイルに合わせて変化しているんですね。第一、私たちのころは、そうでなければやっていけなかったんですよ。
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- 宮西
- 結婚も、子育ても、お仕事も、すべてをこなしてしまうなんて、すばらしいですね。
- 榊原
- 環境に恵まれていたのですよ。でも自ら認められるような環境を作る努力をしてきたことも確かです。
- 宮西
- どのような努力をされてきたのですか? ぜひともおうかがいしたいです。
- 榊原
- 原則は、「相手が楽しいこと」が一番なんですよ。もし、相手が満足していれば、私が仕事をしていても問題ないわけでしょ?
例えば相手が私のことを自慢できたり、私と話をすることで、お互いの話題が豊富になって楽しかったりすれば、私が仕事をしていることは、とてもメリットがあっていいわけじゃないですか? それを心がけてきました。
そもそも結婚するときに、初めから、「仕事は一生する」と言ってありますから。それでも子供の小さい間は仕方がないということで、フルタイムの仕事はできませんでしたけれどね。下の子供が小学校に入ったときから、同時通訳を始めたのです。
- 宮西
- 同時通訳だって、そうとう勉強しないとできないですよね。
- 榊原
- でも、子供が小さいころは、集中して仕事ができるので、とてもよい仕事なのです。
- 宮西
- 今は投資コンサルタントやマネーライフコンサルタントをされていますが、最終的には、このような仕事をしたいと思っていたのですか?
- 榊原
- いいえ。全くそんなビジョンはありませんでした。そのとき、そのとき、与えられた仕事を一生懸命やってきただけで、自分が何をやりたいのかなんて、全くわからないといったほうがよいかもしれません。
今の仕事を始めた、そもそものきっかけも、自分のほしいサービスを提供しているだけであって、それほど難しいことではないのです。知識だけで行っても、実際的ではないですしね。さらに、今回、『金銭教育』の本を書いて、楽しいなと思いましたので、これからは、このような執筆活動も増やしていきたいと思ったりしています。
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- 宮西
- 榊原さんの提唱するライフスタイル作りとは?
- 榊原
- どんな時代でも、「今からがいちばん楽しい、花開く」と考えることですね。この世に生を受けて、本当に良かったなと思えるようなことに出会えたらいいですよね。
- 宮西
- 榊原さん自身もそういう出会いの中で今日に至ったという感じですか?
- 榊原
- そうですね。自分の人生の中で、それぞれの節目で「これをやってみたい」という思いがあったわけですが、今携わっている企業買収の仕事については、楽しくてしょうがないですね。朝から晩までそのことを考えているのです。とはいえ、特に自分からアクションを起したわけではないんですよ。自然とそうなっていくのですね。言葉は悪いかもしれませんが、はめられるというか(笑)
もともと同時通訳で入ったら、いつの間にか企業買収の専門家になってしまったということ。それに今のこの会社も、私は社長業をやりたくはなかったのだけど、ほかに誰もやる人がいないから仕方がなくて社長になったという流れです。そろそろ自分の好きなことだけをやりたいなと思っているところです。
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- 宮西
- 『金銭教育』の本はどのくらいで書かれたのですか?
- 榊原
- 6カ月くらいですね。お正月から資料や本を読み始めて準備し、書き始めてから3カ月くらい。トータルで6カ月くらいですね。
- 宮西
- 書こうと思ったきっかけは?
- 榊原
- 人に頼まれたからです。先ほども申し上げたように、私は積極的な生き方はしていないですね(笑)
- 宮西
- これで3冊目ですよね。一番初めに出されたのは?
- 榊原
- 7〜8年前ですね。そのころの仕事がすごく特殊だったのですよ。当社は、ヘッジファンドの投資も、日本で一番最初にやったところだし、プライベートバンキングのお付き合いも日本でものすごく早く始めたのです。海外税務なども早かったので、みんなが知りたい情報をもっているということで、それなら書いてみようかなということでした。
次の本は、世界中のファンドマネージャーをよく知っているので、その人たちのことを書きました。ビッグ・バンに向けて日本の人に知ってもらった方がいいと思って書いたのです。いうなれば、専門家向けですね。でも、実際は専門家ではなくても普通の方が読んで、よく相談にみえますけれど。
- 宮西
- そのような情報はどこから得られたのですか?
- 榊原
- 自分自身がとても興味があったことなのです。自分がお金をどうするかと考えたとき、有利に運用したいと思うでしょう? そういう思いから出発しているわけです。
- 宮西
- なるほど。自分のためだった研究が、「世のため人のため」にもなっていくということですね。
- 榊原
- そうかもしれないですね。でも、そんな大それた研究などはしていないんですよ。自分で問題に突き当たったとき、どうしてかなと解決策を考えたり、どう運用したらいいのかなと善後策を考えたり、どうして運用のうまい人とへたな人がいるのかな、何かコツがあるのかなとか、性格の違いはあるのかな、などと個人的な興味で研究しています。何でも、素朴な疑問から出発しているだけです。
- 宮西
- すべて自分の経験と実績に裏付けられたものなんですね。
- 榊原
- 日々の取引の中で自然と培われていったものですね。
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- 宮西
- 設立はいつですか?
- 榊原
- 1991年です。10年前ですね。プライベートバンクを日本で展開しようという方がよく相談にみえます。
- 宮西
- とてもわかりやすく教えてくれそうですよね。
- 榊原
- それはもうわかりやすいですよ。だって、自分がいつも考えていることですし、難しいことは言わないから。学説はありますが、私は「自分が」どっちにするかがいちばん大切だと思っていますので。
- 宮西
- 肝心なのは、何よりも「自分」ですね。そういう意味で、現代社会によく見られる「赤信号、みんなでわたれば怖くない」的な発想をどう思われますか?
- 榊原
- 自分に判断基準がないのだと思いますよ。自分の中に物差しがあって、それに従って行動することが何よりも大切だと思います。
- 宮西
- こういった判断基準を自分の中で育てるにはどうしたらいいでしょうか?
- 榊原
- 何よりも自分を掘り下げることが大切ではないでしょうか。自分を知りたいと思うこと。自分がどういう人間か理解すること。そのためには、自分がこういうことをしたときに気持ちがよかったか、嫌な気がしたとか、体が緊張したかを自分でよく見つめることです。体にも現れますから、そういう反応を見過ごさないことです。
- 宮西
- 自分について考えるというトレーニングが必要かもしれませんね。
- 榊原
- 人のことばかり気にして何もできなければ、結局、誰にも満足してもらうことができないでしょうね。少なくとも自分が満足いくような生活をしたいですよね。
- 宮西
- 本日は本当にすばらしいお話をありがとうございました。
榊原節子さんが見た船井幸雄会長
7、8年前のこと、ある方にご紹介されて船井会長と始めてお目にかかりました。すぐに会長が講演する宮古島の旅行へ連れて行っていただきました。その旅行は8人ぐらいの個人旅行でしたが、半分くらいが超能力者。その中で私は数少ない低能力者でした(笑)。私自身はまったく何もできないのですが、超能力者が一緒だと私でもスプーンを曲げることができたのです。もちろん、東京に帰ったら曲がりませんでしたけれど(笑)。
その後、コスモスクラブで何回か東京、大阪などで、海外投資の講演させていただきましたし、1年間ですが、直感力研究会などに入って勉強させていただくチャンスを得ました。会長は本当に、いつもにこにこと笑顔のたえない人で、とても気さくな方だと思っています。
●著者紹介
榊原節子(さかきばら・せつこ)
東京生まれ。国際基督教大学卒業後、大手証券会社にて企業買収に携わる。1991年、国際投資コンサルティング会社アルベロサクロ株式会社を設立、社長に就任。現在は投資コンサルタントおよびマネーライフコンサルタントとして活躍中。