ピカソのこの大作をスペインの美術館で目の当たりにした時の圧倒的な衝撃、
これをステンドグラスにしたらどうなうだろうと食い入るように見つめた。
帰国後、制作を検討しかけたこともあったが、当時はテーマが重すぎ技術も伴わないと、断念していた。
2011.3.11の東日本大震災のあと、制作意欲もわかず半年も過ぎた頃、
白州アトリエで南アルプスの山々を眺めるうちに湧いてきたのが「ゲルニカ」創作への強い想いであった。
反戦・平和のシンボルとしても有名な「ゲルニカ」は、スペイン内戦の無差別爆撃に対する怒りから描かれたというが、
ピカソ自身の深刻な愛と苦悩が頂点に達していた時期に、民族的・人類史的な悲劇が重なったことでこの超大作が生まれたと言われる。
それにしても、牡牛と牝馬、母子と3人の女、死んだ兵士と傷ついた小鳥、一輪の花、不気味に光を放つ裸電球など、
これは、まるで津波に襲われ、原発の爆発におののく3月11日の光景と同じではないか。
なぜ、これほどまでに普遍的なメッセージを持つ作品なのか?
複製画を見ながら「私のゲルニカ-TUNAMI 2011.3.11」の制作イメージが膨らんでいった。
実物は、約3.5×7.7㍍の大作だが、我が家に飾ることができる大きさは60×60㎝程度の2分割パネルにせざるをえなかった。
また、原画は黒白のみのモノトーンだが、ステンドグラスの美しさも感じてもらいたいと思い、青系ガラスを加えることにした。
そして、暗い青や濃紺だけでなく、明るいブルーも次々加えていった。窓から見える空と海のブルーは希望の光である。
構図は基本的には原画を模写したが、ステンドグラス用にかなり変形している。
この作品を制作をすることにより、私自身は癒されたが、復興に向かって10年以上たってもまだまだ被災者の悲しみは消えず、
原発の後始末も先延ばし、戦争や世の不条理は続いている。
それでも人々は頑張って希望と夢を追い求めている。
私の「ゲルニカ」もその思いを共有するための小さなモニュメントになってくれれば幸いである。