とり・みきインタビュー in Angoulême


聞き手:グザビエ・ギルベール Xavier Guilbert

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 とり・みきは2009年でマンガ家30周年を迎えます。少年チャンピオン新人マンガ賞でデビュー後、現在までに著した作品は60タイトル以上。狂気的なユーモアから甘く悲しいファンタジーまで、SFから無表情なキャラクターが活躍するナンセンスなギャグまで、さまざまな作品を世に送り出しています。


—— 著作リストを拝見して、あなたがメジャー誌である少年チャンピオンでデビューしていたことにたいへん驚きました。そのいっぽうで青林堂からも本を出している。おまけに劇場アニメ『WXIII機動警察パトレイバー』の脚本まで書いている。いったいどうやってこれら異なった分野の仕事をこなしてきたのですか?

 自分が読者やファンの頃から、特定のジャンルやスタイルにこだわらずあらゆるマンガが好きでした。僕がマンガにいちばん魅力を感じるのは、その多様性なんです。これこそを描きたいと思う確固なスタイルがないままマンガ家になったので、色んな作風にトライしてみたかった。欲張りすぎだったかもしれないですけどね。

 ただ、売る側の立場からするなら、少年週刊誌で作品を発表しようとすると、どうしてもある種の制約を課すことになります。メジャーヒット作を持っていたりすると、別の作風(や他所での仕事)にトライするのはさらにむずかしくなる。出版社はマンガ家にそんなことはあまりしてほしくないのです。

 僕の場合は(テレビドラマ化された作品があったのですが、求められている路線と自分が描きたいもののギャップに悩み)打ち切りではなくて、期待されていたよりも連載を短めに終えるということがありました。だから(チャンピオンを出て)フリーになったときには、とにかく自分が本当に好きなもの、描きたいものを描こうと思いました。あらゆる規制から自由に、異なったジャンルにもトライできるようになった。少年誌的なノリの作品も描きつつ、よりシリアスな作品や、もっと実験的なものにも挑戦しました。

——ベストセラーを持っていないことで、自由さを得た?

 たぶん。でも(それは結果であって最初から)そういう考えの作家はあまりいないと思います(マンガ家は皆メジャー誌でヒット作を持ちたいですし、描きたかったものがベストセラーになればそれにこしたことはありません)。僕は集英社・講談社・小学館・秋田書店、さらには青林堂でも仕事をしたことのある、非常に珍しいマンガ家です(そのフットワークの軽さは確かに固定の雑誌でメジャーヒットを持っていなかったことに起因するかもしれません)。外国から見て珍しいと感じられたようですが、日本人から見ても、僕はあまりいないタイプのマンガ家なんじゃないか、と思います。

——『Heebie-Jeebie』には多くのパロディが入ってます。小津の映画、『巨人の星』や『ゴルゴ13』や楳図かずおの『へび女』のようなマンガの古典的名作。

 はい。それらを引用しています。

——それはあなたがやりたかったことの一つなんですか?

 その通りです。無節操に読者として好きだった作品をネタにしました。もちろん『巨人の星』や『ゴルゴ13』などのマンガはパロディにしやすいということがあります。スタイルが過剰に際だっているが故に、からかいやすくもあるんですね。実際、多くのマンガ家がこれらの作品をパロディ化しています。

  『Heebie- Jeebie』に関してお話しすると、これは少年チャンピオンのような少年誌では出来なかった実験を好き放題やった作品でもあります。(元ネタのある)ギャグもですが、ショートスケッチの連作、という形式を選んだのもそうです。マニアックなマンガ読みには喜ばれましたが、幅広い層にはけっして受け入れられないでしょうね。自己満足の強い作品です。普通の雑誌に載っけられるかというとちょっとむずかしい。

——少年チャンピオンのような作品と『遠くへいきたい』のようなスタイルの間には、どのような変化があったのですか? なにが必要だったのでしょう。

 少年チャンピオン時代、年少の読者層を想定していたときでさえ、僕はしばしば元ネタのあるようなギャグを使っていました。でも『遠くへいきたい』の原型のような(「間」で見せるセリフのない)ギャグも入っているんです。結果として、それらはやはり年少の読者にはむずかしくて、あまり成功しませんでした(コアな読者はついてくれましたがアンケートは悪かった)。

 このチャンピオンでの悔しさのかたき討ちみたいな気持ちで、最初からマニアウケでいいや、と開き直って描いたのが『Heebie-Jeebie』だったんです。しかし、この本はマンガマニアには確かに喜ばれたけど、多くの読者にほとんど不可解であったと今は思います。この経験が『遠くへいきたい』を描かせることになりました。もうちょっと受け入れられやすいテーマを考えたのです。

 例えば古いマンガや映画を元ネタにしても、それを知らない人にはギャグとしての意味をなさないことがある。なので(『遠くへいきたい』では)この種のギャグをできるだけ封印しました。どことなく奇妙な人々が奇妙なシチュエーションで奇妙な出来事に遭う、そういうおかしさを描こうと思いました。とくにこれはセリフのないマンガなので、元ネタの知識が必要なギャグは、より判読不可能になる率が高い。そうしたことに気をつけながら『遠くへいきたい』はスタートしました。

——それでも、私にはよく意味のわからない回が『遠くへいきたい』にはありましたけど。

 それは日本でもよくいわれます(笑)。自分でも後から読み返すと「この回はいったいどこが面白いんだ」と思うことがあります(笑)。でも、それを描いた時点では、ちゃんとおかしいという確信があって描いてるんです。誰かが「このマンガのギャグの意味を説明しろ」と尋ねてきたら、いちおう僕は説明が出来るつもりです。一見感覚的に見えるかもしれないが、自分ではある程度理詰めでギャグを考えている。

 ただ、読んだ人が何を面白いと思うかは、また別の話です。こちらが思いもしないことに驚いたり笑ったり、人それぞれで意外な反応がある。そしてそういう作者が企んだのとは違った解釈も、また正しいのです。(セリフで意味を規定していないので)正解も誤解もない。それこそがむしろ『遠くへいきたい』で僕が意図していることだといえます。

——『遠くへいきたい』はテレビブロス誌で連載されましたが、これは週刊ですか?

 隔週刊です。

——その発表のペースもあなたには幸いしましたか?

 確かに隔週で1ページの連載はマイペースで描けるような印象があるでしょうね。しかし、実際は(2週間のほとんどは別の仕事をしていて)締切の一日前からこの仕事を始めるので、そうかわりはないんです(笑)。むしろ、この刊行ペースと枚数は、読者の側に普通のマンガを読むのとは違った接し方をさせるかもしれません。電車でマンガを読んでいる人を観察していると、セリフのないコマやページがあると、多くの人がそれを飛ばし読みしています。しかし描き手の思惑は逆です。むしろセリフのない絵だけで表現しているコマこそをじっくり見てほしいんです。人はマンガを読んでいるつもりで、その実セリフを追っているだけ、ということのほうが多い。

 これだと、マンガのいちばん面白い部分が無視されている、と僕は常々思っていました。むしろ、セリフなしのページを読むのに、より多くの時間を費やすようなマンガこそを描きたかったのです。そうしてたどり着いたのが、結局まったくセリフのないマンガだった、というわけです。(親切な説明を極限まで減らし) 「これはどういうことなんだろう?」と積極的に頭を使って参加することが面白い、という読み方ですね。

 もちろん、通勤中にそんな頭を使うマンガは必要ない、と思う人もたくさんいるでしょう。彼らはマンガに安らぎや息抜きや退屈しのぎを求めているわけで(それもまたマンガの大切な存在理由の一つで、そうした需要を満たすマンガにも価値はあると思っています)、そういう楽なマンガへの接し方を求める人達にとっては、多少努力を必要とする不親切な1ページかもしれません。その手の読者には敬遠されるマンガでしょうし、彼らの好みに合わないのはしかたがない。しかし 僕が思う最も正しいこのマンガの楽しみ方は、読みながら「?」と疑問を持ち(能動的に)「あ、そーか!」と面白さを発見してくれることなんです。

——確かにそれは一般的な観点からいえば、そうとう変わってますね。9コマという形式も通常の4コマと比べると異質です。セリフがないのも捉え所がなくてむずかしい。けれど、それもあなたのチャレンジなんですね?

 そうです。

——『Heebie-Jeebie』にも明確なチャレンジがありますね。50音順という。これは楽しかったですか?

 はい。ショートスケッチ集という形式自体は、とくに珍しいことではなく、単に並べただけではあまり面白いと思えませんでした。そこで考えたのが事典のような50音順の接続です。これだと前後に一見全然関係ないようなエピソードを暴力的に連結できます。いっぽうで関連項目を追って事典を前へ後ろへといったりきたりレファレンスするように、それぞれのエピソードには関連性を持たせてあります。僕は(ひとつひとつのエピソードはもちろん)そういう作品全体の構造にも興味があるのです。誰もやってなかったことにトライするのが好きなんです。

——そういうのはずっとやってみたかったことなんですか?

 チャンピオン時代からずっと思っていました。チャンピオンを出た後、僕は(それまで一つの作品の中でやっていた色んなことを)別々に、そしてより先鋭的にやり始めたのです。それからは雑誌の制約ではなく、作品ごとに自分自身で制約を決めました。『遠くへいきたい』だと、すべて正方形の9コマに収めるとかセリフを無くすとか、別の作品ではスクリーントーンもベタも定規も使わないでフリーハンドで仕上げるとか、新しい連載を始める前に僕はそうしたシバリを自分で決めます。それから描き始めるのです。

——その制約はどうやって決めるんですか?

 まず最初に、何かこれまでに自分がやったことのない手法にチャレンジしてみよう、ということがあります。そして次に、描きたい作品をもっとも効果的に表現するためには、どんな画材や描線がいいだろう、ということを考えます。マンガは昔はペンか筆だけで描かれていましたが、その後スクリーントーンなども使えるようになりました。そしていまやパソコンでなんでも出来てしまいます。画法に関しては迷ってしまうぐらい多くの可能な選択肢があります。だからこそ、新しく始める作品の内容に合った最善の手法を選ぶことが大事になってくるし、僕はそういうある種のシバリを課したほうが描きやすい。

——マンガを描くことはまだ楽しいですか?

 ええ。……本当ですよ(笑)。新しい手法を探って新しいことを発見するなんてのは、まさに楽しみです。

——それがあなたの独創性を表現することになると?

 うーん、なんといったらいいか……たぶん、ふだんはあまりそこまで意識していないんですけどね。重要なことは、読者が楽しめなくてはいけません。ギャグマンガは笑えないと失敗です。手法に実験的になり過ぎるあまり、笑えなくなっては無意味です。

——あなたは実験的なことを試みてきましたが、それでもまだ挑戦してみたいことや(描くのに)スキルが足りないと思っている題材はありますか?

 ええ、もちろん。トライしてみたい題材はいくつもあります。ただ、この題材だったら自分よりも別のマンガ家のほうが向いているな、自分より巧く効果的に作品にするだろうな、と思うこともあります。

 チャンピオンでデビューしたとき、僕はマンガ家として経験不足でしたし、絵も下手でした。なので、本当は描きたいんだけど、その時点での自分のスキルや実力では取り組めなかったアイデアがたくさんありました。例えば(後に描くような)ストーリー物は、当時の自分の画力や演出力ではとても描けなかったでしょう。デビューから5年経って、僕は最初のストーリー物を描きましたが、それは描きたかった題材にようやく技術が追いついてきたからです。僕は自分のテクニックが向上するのを待っていたんです。

——現在の自分のレベルには満足していますか?

 うーん、まだまだですね。僕にはまだ描けないことがいっぱいあります。それこそが僕がまだ描き続けている理由であると思います。自分のテクニックに満足したら、それはたぶんマンガを描くのを止めるときですね。

——『冷蔵庫人間第1号』という短編は、エログロマンガにおける駕籠真太郎さんの作品を思い起こしました。おかしなアイデアをひとつ決めたら、結末までそれで強引に押し通すという手法に。他の作品でもこうした手法で描かれたものがありますよね。

 例えば、どんな作品にそれを感じました?

——(『Heebie-Jeebie』の)ヘビ女の回とか。奇妙な状況なのに、それをキャラクター達はあたりまえに受け入れている。

 奇妙な状況をひとつ作って、それを当然のこととして受け入れ、あとはそのシチュエーション内でありそうな日常を発展させるやり方ですね? ええ、それは僕の好きな手法の一つです。ヘビ女である(以外は普通の可愛い)主婦、あるいは冷蔵庫に変身したガールフレンド、というあり得ない設定は、それだけで、驚きにも笑いにも、また哀しみにもなります(つまりそれを「オチ」にして話を構成することも出来ます)。でも、僕にとってはその状況設定は単なる出発点なのです。もし奥さんがヘビ女で、それを肯定されていたらどういうことが起きるだろう。寒いときに冬眠したり、通りでネズミを捕まえるたびに絶叫したり……。近所の人達は彼女がヘビ女であることを知っているので、それらの出来事を当然のこととして受け入れる。

 この「前提状況が既に狂っている」という描き方が好きなんです。通常のギャグマンガでは、世界自体はまあノーマルで、そこになにか奇妙なことが起こります。あるいは奇妙なキャラが現れます。そしてその奇妙な対象に反応する(突っ込みを入れる)まともなキャラが現れ、彼らのリアクションで笑いが喚起されます。僕のやりかたでは、おかしなことはおかしなままスルーされ話が進行することが多い。そこに突っ込みを入れるのは、それを読んでいる読者の役割なのです。まあ例外的な突っ込みキャラもたまに使いますけどね。

——ボケとツッコミというのは通常の漫才の方法ですね。

 その通りです。僕と同じように、二人ともボケっぱなし、というようなタイプのお笑いをする芸人さんもいるんですけど、テレビではやはり微妙で、あまりウケないみたいです(笑)。

——あなたの仕事のもう一つの側面であるSFについてお訊きします。あなたは自分でマンガ、とくに吾妻ひでおさんのファンだと公言なさってますね。

 僕のSFに対する考え方は、僕のギャグマンガに対する考え方と同じなんです。両者は非常によく似た属性を持っていると思います。古い捉え方だと、宇宙旅行やロボットが出てくるオハナシがSFと呼ばれていました。しかし、僕が重視しているSFとは世界の見方そのものです。読んだ後で世界を律している法則が違って見えてくる作品こそが面白いSFであり、それは一部のギャグマンガにも通じています(とくに物の見方が相対的かつメタ的でクールな部分)。そしてそれを もっとも実践していたのが吾妻ひでおさんだったのです。

 もちろん僕は、前者のような古い定義のSFも大好きです。異世界での冒険譚みたいな話も面白いと思う。でも吾妻さんが、けっして実験のためにではなく、読者を笑わせるために描いたギャグマンガこそ、僕にはなによりもSFでした。同時に僕がいちばん好きなマンガでもありました。彼の作品は多くのギャグに彩られながらシリアスでもある(またその逆でもある)。なので、僕自身のSFギャグマンガも、有名SF作品を元ネタにしつつ、そのように描かれています。

——『WXIII機動警察パトレイバー』の脚本の仕事についてお訊きします。どのようにこの仕事に取り組みましたか?

 (徐々に後述しますが)まさにこれまで話してきたのと同じようなアプローチで、僕はこの仕事に臨みました。まず『機動警察パトレイバー』は僕の創造した作品ではありません。(既に決まっているさまざまな設定があり)好き勝手に作り替えることは出来ません。前2作の劇場版の作家(押井守さんや伊藤和典さん)が作った世界観を破壊することは出来ないし、またすべきではないとも思いました。むしろ幾つかの設定はそのまま受け継ぎました。

 しかし、前2作と同じような物を作るつもりなら、そもそも僕(や、高山文彦監督)に依頼が来るはずはないし、また作る必要もありません。依頼者はあえて違う物を作るために我々を起用したのですから。なので、設定や世界観は受け継ぎながらも(依頼者が要求したところの)「パトレイバーが存在する世界でのまったく別のエピソード」を自分流に書き始めました。

——そういえば、もとの『機動警察パトレイバー』も、あなたのいう古いタイプのSFではありませんよね。巨大ロボットは出てきますが、それ以外はつまるところ警察の日常譚です。ほとんどが退屈な日常を描いていて、ごくたまにアクションがある。非常にユニークな作品です。

 ゆうきまさみさんは僕の友人であり、僕は、彼の好みや、やりたかったことをよく知っています。彼(及び彼の仲間のヘッドギアの人達)がこの作品に巨大ロボットを登場させたのは、僕が冷蔵庫人間やヘビ女を最初に強引に「ある」こととして登場させ、それ以外は極めて日常的な話を作り始めたのと実は似ている手法です。巨大ロボットが存在するという以外は、現実の東京を舞台に非常にリアルで世俗的な警察の話が展開します。

 普通、他の巨大ロボット物は、それ以外のSF的要素(宇宙での戦いとか)も詰め込んで、話も叙事詩的かつ劇的です。パトレイバーはそれとは正反対で、警察がレイバーを使用してはいますが、ロボットとはあまり関係のない話が続くことが多い。そういう作り方が先の僕のギャグマンガと似ている部分です。

 だから最初はそうむずかしいことではないと思っていたのですが、しかし、この3作目では、ロボットに加え、さらに現実の世界に存在しない怪物を登場させなければなりませんでした。これが大変でした。冷蔵庫人間でもヘビ女でも巨大ロボットでもいいんですが、一つだけならまだしも、大きな嘘が二つ登場すると、とたんに話はリアリティを失います。日常の話をするのが、より難しくなり、話全体がぞんざいで信じがたいものになってしまいます。そこがいちばん気を遣った部分でした。

—— 『遠くへいきたい』の話に戻りましょう。タイトルの直訳だと “I’d like to go far”ですね。しかし英語のサブタイトルは“Anywhere but here”となっています。より「遠い別の場所」が強調されている。そのあたりは、あなたなりの日本の現状への批判だと思っていいんでしょうか?

 タイトルは社会的なメッセージを意識してつけたのではありません。むしろ(少しでもマンガ表現を前進させたいという)個人的な気持ちを表しています。新しい作品には常にそういう気持ちで取り組んでいます。それが「遠くへいきたい」ということなのです。

——どっちかと言うと悲しさを感じる展開が多いですよね。

 現実では、遠くへいってしまうのは非常に悲しいことですから(笑)。でも、戻ってくることもあるし。

——悲しみというか、不安や苦しみも伴いますね。それらがあなたが(タイトルで)述べたかった気持ちなんですか?

 うーん、何が出来るんだろうという産みの「苦しみ」はあるけど(笑)。僕以外にもたくさんのギャグマンガ家がいますが、本人も陽気な人はごくわずかです。多くのギャグ作家は、極めて内省的で孤独な傾向があります。

——ビートたけしを想い出しました。北野武名義で非常に暗い映画を監督しているいっぽう、テレビでは極めてくだらないマネをしているたけしがいますよね。仮面を脱ぐように。

 そうですね。意識的かどうかは別として、そういうと ころは僕にもありますね(沈黙)。……ビートたけしほど有名でなくても、コメディアンは皆たいへん真面目で、ふだんはあまり笑いもせずクールで暗い人が多いと思います。別に悲しんでるわけじゃないんですが、ギャグネタを考えているときというのは、たいていシニカルにならざるをえないのです。(ギャグネタを探す)姿勢や物の見方というのは、何に対しても対象から少し距離を置くことになります。そうやってだんだん「遠く」から俯瞰的に、すべてをギャグの「ネタ」として外側から観察するようになるのです。たぶんその孤独感が「悲しみ」が去来する理由でしょう。

——しりあがり寿さんの作品もそうですね。彼の作品は非常に滑稽であると同時に、より暗く、より劇的な側面があります。

 おっしゃるとおりです。

——『遠くへいきたい』はまだ続いているのですか?

 テレビブロスでの連載は終わっていますが、載せてくれる場所を探しては描き続けています。今後も描きたいと思っていますよ。現在は(5巻目所収分できりよく)中断しているんですが、また再開するかもしれません。

——次の作品は?

 とりあえず最初に出るのは……モーニングで『冷食捜査官』というシリーズを描く予定です。毎号連載ではないんですが、読み切りのエピソードを数編。主人公は『遠くへいきたい』と同じキャラなんですが、こちらはセリフがあって『ブレードランナー』のようなハードボイルド調のSFで、もちろんギャグマンガです。(このところ少し怠けていたので)今年、2008年中に以前のような仕事のペースに戻したいですね。『遠くへいきたい』もメジャーな場所で再開できればいいんだけど。

——それは(描く作品の内容も)もう少し主流っぽい普通のマンガに戻るということでしょうか?

 そういう意味ではありません。ただ僕は、実験的な作品を描いたら、次には舵を逆方向にきりたくなるのです。常に変化しながら前とは違う場所に行きたいんです。同じ所に居続けては何も得られませんからね。

2008年1月25日 Angoulêmeで行われたインタビュー

※原典にはないけれども言葉が足りないと思われた部分はカッコ内で補いました

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