アメリカ文学史 (慶應義塾大学出版会) 駆動する物語の時空間 巽 孝之 著 |
2003年1月25日 (第1刷発行) 2008年9月20日 (第3刷発行) |
はじめに−−「アメリカ文学史」とは何か ・ここで興味深いのは、開国後、近代日本の父・福沢諭吉の手により、アメリカ文学受容のため にも最も意義深い仕事がなされていることだろう。トマス・ジェファソン起草になる「独立宣言」 (1776年)の本邦初の訳業を含む『西洋事情』(1866年)が、それだ。そのなかでジェファソンの 殺し文句「すべての人間は平等である」“All men are created equal”は「天の人を生ずるは 億兆皆同一撤にて」と訳されているが、これは同時に「天は人の上に人を造らず、人の下に 人を造らずといえり」なる名文にアレンジされてのちの『学問ノススメ』(1872年)冒頭に置かれ、 同書は70万部を越す大ベストセラーとなり、かくしてアメリカ民主主義精神は巧みなまでに 近代日本精神へ移植された。 P ・あくまで独立したかたちによるアメリカ文学研究が始まったのは、やはり第二次世界大戦後で ある。米ソ冷戦を迎え、一般には「パクス・アメリカーナ」の名で親しまれる時代から冷戦解消を ピークとする二十世紀末にかけて、北米ではR.W.B.ルイスからレオ・マークス、 チャールズ・ファイデルソン・ジュニア、リチャード・チェイス、ダニエル・ホフマン、レスリー・ フィードラー、ニーナ・ベイム、サクヴァン・パーコヴィッチのように明確な文学史構築への意志 をもった文学批評家がぞくぞくと出現したが、我が国においても、西川正身や大橋健三郎、 大橋吉之輔から亀井俊介、志村正雄、井上謙治、佐藤宏子に別府恵子まで、戦後日本で アメリカ文学を教えるにはどうすればいいかを鋭敏に意識した文学研究者たちが絶大な努力 を続けてきている。占領期政策以来、アメリカ文化は日本が忠実に学習しなければならない テクストであったが、しかしまさしくその学び方自体、作家の選択自体に、あたかもアメリカ的 文化の盲点を突くようなかたちで、日本的主体による独自な決断が反映していただろう。 その意味で、福沢の輸入した民主主義精神とハーンの実演した多文化主義精神が半ば倒錯的 なかたちで現在のアメリカ二ズムを形成してきたことは、グローバリズムが到来したからこそ いっそうはっきり目に見えるようになった、新たなアメリカ文学史事始のための序章にほかなら ない。 P ・これまでの「アメリカ文学史の常識」 @ピューリタニズム Aリパブリカニズム Bロマンティシズム Cリアリズム Dナチュラリズム Eモダニズム Fポストモダニズム 「非常識のアメリカ文学史」 @コロニアリズム Aピューリタニズム Bリパブリカニズム Cロマンティシズム Dダーウィニズム Dコスモポリタニズム Fポスト・アメリカニズム |
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第1章 アメリカ文学史序説−−ロード・ナラティヴの千年紀 ・十八世紀末、三角貿易のおかげで国家的独立を果たしたアメリカは、こんどは神から賜った 「明白なる運命」(マニフェスト・デスティニー)のもとに西海岸をめざすけれども、それはつまる ところ、西海岸の果てにハワイを、はたまた日本を捕鯨基地として幻視する世界戦略の表れ であった。このように、アメリカ文学史は刻々と変貌する多文化的地政史と無縁ではない。 いったいどこにアメリカン・ドリームを定めるかによって、アメリカン・ナラティヴそのものが刻々 とそのヴェクトルを転換していく。アメリカ的主体が時代ごとにめざす方向を移動させていくこと は、とりもなおさず、アメリカ的物語そのものの方向性が移動していくことである。アメリカ文学史 を語ることは、ひとつのロード・ノヴェルを書く作業に等しい。 P2 → 二十世紀文学や二十世紀映画が可能にしてくれたロード・ナラティヴという準拠枠は、 ・・・・アメリカ文学思想史全般を語るのに有効なモデルたりうるはずだ 1.アメリカン・ドリームは移動する ・アメリカ人は、たえず新しい時空間に新しい自然の楽園を、そして成功の夢を見てやまない。 ・だが、しかしまったく同時に忘れてならないのは、このようにアメリカン・アダムたらんとすれば するほど、アメリカ人は時間と場所次第でたえず人々を騙し続けていく詐欺師(コンフィデンス・ マン)的な性格をも露呈せざるをえないことだ。・・・かくして、アメリカン・ドリームを求め移動を 繰り返す主体は、必然的にアメリカン・アダムとコンフィデンス・マンというふたつの仮面を 融合させる。それはそっくりそのまま、アメリカの夢と悪夢が表裏一体を成すことを明かす。 P4 2.ロード・ナラティヴのフロンティア ・スタインベックは、人間個人のみならず人間集団もまた別個の生命体として考えたが、しかし まったく同時に、人間がほんらい生まれ育った土地を、人間が作り出しながらその制御を超えて ひとつの巨大な怪物になってしまった銀行が奪い取っていくのを、ひしひしと感じていた。 P10 ・スタインベックが39年に描き出した労働者たちの焦燥を、ウディ・ガスリーはみごとにアメリカ 全体の将来を占う問題としてポップ化し「この土地は君たちの土地」とも解釈しうるヒットソング を放ったのである。それは、自然と制度をめぐる存在論的な軋轢から必然的に生れた叫び だった。 P10-11 3.グローバリズム以後のアメリカ文学地図 ・20世紀のアメリカ文学が、ほかならぬロード・ノヴェルの典型とも時に呼ばれるライマン・フラ ンク・ボームの『オズの魔法使い』(1900年)に始まり、同作品を愛するトマス・ピンチョンの 『メイソン&ディクソン』(1997年)に収束していくことは、ひとつの徴候だろう。 P13 → ここでピンチョンは、18世紀開拓時代のアメリカの内部に、20世紀末電脳時代において 決して遠いとはいえなくなった米中関係を幻視しているが、まさしくその作業の彼方に、 グローバリズムの時代においてさまざまな文化圏における自然観を並列し相対化し、 全地球的な自然地図を再構築せんとする目論見を秘めているのである。 |
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第2章 神権制下の文学−−ピューリタニズム 1.キャプテン・ジョン・スミスの遺産 ・キャプテン・ジョン・スミス(1580頃〜1631年): 1607年にジェームズタウンに上陸し、 ヴァージニア植民地経営に邁進し、翌年総督に ・キャプテン・ジョン・スミスをいちばん有名にしたのは、彼がアメリカ・インディアンのパウハタン族 に捕まり、いまにも処刑されそうになったところを、族長パウハタンの娘ポカホンタスの捨て身の 懇願によって救われたというエピソードであろう。 P19 ・インディアン捕囚体験記: インディアンに捕まりながらも紆余曲折を経て最終的には救われる という経験は、何よりも神の摂理の賜物であり、自らの信仰を再確認 する絶好の試練として物語化される ・事実が物語を生むのではなく、物語が歴史を生む−−あらゆる植民地主義発想に付随する この論理は、以後本質的に英国国教会を堕落したものと見なした分離派であるプリマス植民地 の共同体においても、政治的自治権は主張しているにせよ英国国教会の枠内にとどまった 非分離派であるマサチューセッツ湾岸植民地の共同体においても、連綿と貫かれていく。 P21 2.丘の上の町 ・ウィンスロップは「われわれはひとりの人間として合体しなくてはならない」「われわれは同胞愛に よって互いを歓待しなくてはならない」と語りながら、以下のように続けるからだ。「わたしたちは 自分たちが丘の上の町(City upon a Hill)になること、世界中の人々の目がわたしたちに注が れていることをふまえなくてはならない」。 P25 ※マサチューセッツ湾岸植民地初代総督ジョン・ウィンスロップ ・ここには疑いなく、ピューリタニズムがひとつのユートピアニズムへと転じる瞬間がある。だが、 あらゆるユートピアニズムのご多分に漏れず、この論理は、まったく同時に完全なる肉体を 惑わす異物や異端者を一種の疫病と見て一斉に排除していく恐るべきテロリズムの可能性 もまた、培養せざるをえなかった。 P25 3.反律法主義論争 ・反律法主義論争の引き金を引いたのは、アン・マーベリー・ハチンソン(1591-1643)という女性 である。彼女は・・・救済のために信仰だけを重要視したため、当時の主導的牧師ジョン・コット ンらに「牧師を中傷する者」とみなされて、マサチューセッツからロードアイランドへと放逐され る羽目になった。 P26 → それはピューリタニズムが完全無欠のユートピアを達成するためには不可欠な、 最初期の理論的テロルの実践であった。 ※信仰至上主義: 神の救済に関して「恩恵の契約」を強調し「義認」を優先 救済準備主義: 倫理的生活を重ねて「業の契約」を守り「聖化」を経て得られるとする 4.異端者と異民族と ・1637年、ピューリタンの総会議がアン・ハチンソンを「牧師を中傷する者」とみなして マサチューセッツから追放すべく宣告したまさにその年に、ピューリタンたちは並行して、 現在のコネティカット州ミスティック浜辺で、アメリカ・インディアンのピーコット族に対する 大虐殺を試みようとしていた。 P29 → 自分たちとは異なるもののかたちを持つ者、それはすべてピューリタンたちにとって追放し 根絶すべき悪魔だったのだ。 5.セイラムの魔女狩りとは何であったか ・そして1692年にはとうとう、セイラムの魔女狩りという集団ヒステリアのかたちで爆発する。 → ニューイングランド植民地において、インディアンやカトリックやアングリカンや、逸脱的な セクシャリティを持つ集団(そこには独身者や老人、未亡人も入る)などを意識するがあまり、 人種的にも宗教的にも性差的にもさまざまな危機が発生し、その結果、あらかじめとてつも ない他者への恐怖が、すなわち「外部の圧力」を疫病のごとくに懸念する不安がじゅうぶん に育まれていたために、それが混血黒人女性奴隷ティテュバのちょっとした悪戯心を引き金 に、一気に爆発したものと見るのが正しい。 P34 6.アメリカ的主体の多元的起源 ・セイラムの魔女狩りのような内ゲバは、ピューリタンが自らの共同体を強化するどころか、自己 内部の矛盾を、ひいてはアメリカの多元的起源を一挙に露呈した。そしてそれは、敬虔なる ピューリタンたちにとっては、とりもなおさず世俗化と信仰心衰退の予兆であり、だからこそ 抜本的な信仰復興運動が切望されたのだった。かくして、17世紀後半から18世紀中葉、 世俗化のさなかで「大いなる覚醒」(The Great Awakening)を訴えるジョナサン・エドワードの 時代へと転換する。 P36 7.マザーからエドワーズへ ・コットン・マザーがマサチューセッツに生まれハーヴァード大学に学んでボストン第二教会の 牧師を務めたいっぽう、ジョナサン・エドワード(1703-58)はコネティカットに生まれ、イエール 大学卒業後にはマサチューセッツへ赴き、ノーザンプトンの教会で牧師職につく。 P37 → マザーが古典的なピューリタン教義に束縛されながら啓蒙主義に惹かれていったとすれば、 エドワードははじめから啓蒙主義的な方法論に立脚したうえで、逆にそれをピューリタン教義 のための最大の手段にしたということになる。 P38 ・一見、古典的ピューリタニズムへ退行するように見える彼の「回心強調主義」もまた、その内部 に潜む多文化的キリスト教の可能性を解き放つ効用があったことを、忘れてはなるまい。 P42 |
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第3章 独立革命の文学−−リパブリカニズム 1.マザー、エドワーズ、フランクリン ・17世紀から18世紀へ至る世紀転換期にピューリタン神権制の盛衰をくぐり抜けたコットン・ マザーから、18世紀中葉、大覚醒に象徴される信仰復興運動を指導したジョナサン・エドワード へ至る道において、信仰心喪失はいうまでもなく啓蒙主義思想の勃興と裏腹であった。 P43 → 「敬虔」は神を中心にした超越的美徳を支えるが、そこから派生する「勤勉」がむしろ人間を 中心にした世俗的価値を支えてしまうという逆説に、両者のテクストを熟読したであろう フランクリンは心から魅了されたにちがいない。 P46 ・かくして、新聞人・科学者・発明家・政治家・文筆家として植民地時代きってのマルチタレントと なるフランクリンは、人生における成功の秘訣を『自伝』(1771-90)の中で、有名な以下の 十三の徳目にまとめる・・・・ P46 ・彼はすでに1732年の時点で、先のヴィジョンに基づきアメリカ的立身出世の雛形を体現する かのような仮想人格を作り出し『貧しきリチャードの暦』シリーズを書き始めるが、これが廉価 パンフレット形式のチャップブックでも流通して庶民の間でも好評を博し、とうとう57年まで 何と四半世紀のあいだ連綿として書き継がれることになる。 P47 2.自伝のタイム・パラドックス ・ここで注意したいのは、ひとつには彼の徹底した「時間」へのこだわりが、人生の初期における 過ちは、あたかも誤植のように以後の人生においていくらでも修正可能という、考えようによって は驚くほど反動的な修正主義転じて歴史改変の形成をしたことで、この論理はフランクリンに よって創始されたアメリカにおける自伝ジャンルにしっかりと根をおろすことになる。 P48 → そうした活字メディアの魔術師にとって、極端な話、自伝ジャンルとは時間を遡り歴史に 介入することを許すタイム・マシンの一種にほかならない。 P49 3.信仰ではなく信用を ・もうひとつ着目すべき点は、・・・フランクリンが啓蒙主義時代の風潮に即して、すでに神への 信仰すなわち敬虔の美徳を否定し、人間がむしろ自分自身に依存するべきであるという個人 主義的なヴィジョンを明らかにしていることだ。旧来の神権制が神を絶対視する君主制だとす れば、こうした理神論は神を相対化して自然の原理を優先させることにより、民主制を用意 した。 P49-50 4.隠喩としてのファミリー・ロマンス ・コットン・マザーもジョナサン・エドワードも宗教的な「父」にこだわり、結局はそれを抜本的には 乗り越えることができなかったが、しかし啓蒙主義の寵児ベンジャミン・フランクリンはそうした 父型(ファーザーフィギア)をビジネス上の「先行者」として翻訳し、自らが乗り越えるべき対象 とみなして、じっさい乗り越えてしまった。 P52 ・アメリカ文学史上興味深いのは、このように独立革命後の時代が「父」と「子」の関係をがらりと 変質させるとともに、国家の成り立ちを「家族」一般のメタファーによって語る方法論をも初めて 確立したことだろう。 P53 5.パンフレットの文学 ・18世紀のアメリカは、ほとんど四半世紀ごとに人口が倍増した。1776年の時点に限ると、 ボストンの16,000人、ニューヨークの25,000人に比して、フィラデルフィアはあいかわらず 13植民地内部でも最大人口の40,000人を抱えている。そのうちほぼ全員が奴隷である黒人 は18%、アメリカン・インディアンは8,000人にも満たない。 こうした人口増大に比例するように、1775年の時点で37種類にものぼる新聞が大部数で 発行されるようになった。 P54 ・こうした新聞メディアの発展とチャップブック形式の人気が交わるところに、政治的パンフレット というジャンルが興隆するのは、当然であった。 6.『コモン・センス』から『独立宣言』へ ・トマス・ペイン(1737-1809)は、イギリスはセットフォードのクエーカー系コルセット職人の息子 として生れたが、37歳でアメリカに赴くまでの彼の人生は、挫折の連続であった。・・ そうした準備段階を経て、1776年1月に登場したのが、アメリカにおけるプロパガンダ文学の 古典『コモン・センス』にほかならない。これこそは事実上、最初の「独立宣言」であるのみなら ず、何といってもイギリス的なるもののすべてを否定することによりアメリカの夢を語った文章 として意義を持つ。 P59 ・かくして『コモン・センス』はジョン・ロック以来培われてきた政治と育児のアナロジーを、みごと なまでに国家と家族のアナロジーへと刷新した。主題的には人権・自由・独立をとことん擁護 する文章だが、しかしその手法が、パンフレット形式を用いて読者の情緒を徹底的に煽りたて るセンセーショナリズムに基づくことは、留意してよい。 P60 → 1776年の7月にはジェファーソンによる草稿執筆で公布される「独立宣言」が、ペインの 影響もあらわに人権と自由と独立の「理念」を謳い、それと同時に、17世紀以来の インディアン捕囚体験記のレトリックを活用し、あたかもアメリカといういたいけな娘が イギリスという暴力的な男にさんざんたぶらかされてきたかのように読まれる「物語」を 切々と訴えた。 P61 → ジェファーソンの筆になる「独立宣言」というテクストは、じつのところペインの示した 隠喩としてのファミリー・ロマンスをさらにお涙頂戴の文脈で発展させたもうひとつの 感傷小説(センチメンタル・フィクション)として、念入りに仕上げられたのである。 7.コネティカット・ウィッツ ・コネティカット・ウィッツ: アメリカ最初の自覚的な国民文学者集団 政治的プロパガンダとしての効果が大きかった『アナーキアッド』の 執筆者たち 会衆派教会主義(Congregationalism)と連邦主義(Federalism)を 共有する愛国主義者の一団かつイエール大学卒の俊才ぞろい 8.アメリカ小説の起源 ・アメリカ小説の起源は、悪しきプレイボーイの手練手管に翻弄された純情娘の悲劇という パターンに即し、「愛と恐怖」へ訴えかけるメロドラマ的センセーショナリズムに潜む。 P64 → 『共感力』(1789): アメリカ最初の小説。 ボストンの詩人・随筆家・劇作家ウィリアム・ヒル・ブラウンの作 『シャロット・テンプル』(1791): アメリカ最初の女性小説 フィラデルフィアの女優でもあったスザンナ・ローソンの作 『放蕩娘』(1797):マサチューセッツ生まれの牧師の妻ハナ・フォスターの作 『ドンキホーテ娘』(1801): ニューハンプシャー出身の議員の妻タビサ・ギルマン・テニー作 ※エリザベス・ホイットマンの実話がもと 9.共和制読者のアレゴリー ・このような共和制文学の約束事をとことん洒落のめすかのように、テニーの手になる小説を 読むことについての小説『ドン・キホーテ娘』が登場し、そこではエリザベス・ホイットマンの悲劇 が、低級な騎士道ロマンスばかりを読み過ぎたため発狂してしまったあのラマンチャの男の パロディという体裁によって、再演出される。 P67 |
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第4章 膨張主義の文学−−トライセンデンタリズム 1.アメリカン・ロマンスの曙 ・18世紀末、アメリカ小説史の起源を成すべく勃興した共和制小説が家族の悲劇によって感涙 を誘うファミリー・ロマンスだったとするなら、それ以後、19世紀への転換点を経て、その物語 的伝統は、アメリカン・インディアンへの恐怖がもたらす広義のゴシック・ロマンスと交錯する。 → 最初のアメリカン・ロマンス作家はチャールズ・ブロックデン・ブラウン(1771-1810)に ほかならない。『アーサー・マーヴィン』(1799)、『エドガー・ハントリー』(1799) ※ブラウンという作家の独自性は、そのようにほんらいは白人たちの外敵代表だった インディアンを、むしろ白人社会内部の闇を反映するものとして捉え返した点にある。 2.インディアンはひとりではない ・文学史家フランシス・オットー・マシーセンのロマン派文学論『アメリカン・ルネッサンス』(1941) が発表されてこのかた、アメリカ文学史はロマンティシズムを19世紀中葉に位置づけてきたが、 にもかかわらず昨今では新歴史主義批評家シャーリー・サミュエルズらの研究からもうかがわ れるように、ロマンティシズムを共和制末期から南北戦争前夜までの比較的長いスパンで−− つまり19世紀中葉というよりも19世紀前半から中葉にかけての60年あまりにおよぶ歳月に おいて−−読み直す傾向が生れている。 P71 → ジェイムズ・フェニモア・クーパー(1789-1851)の『最後のモヒカン族』(1826) リディア・マリア・チャイルド(1802-80)の代表的長編『ホボモク』(1824) ※両者のめざすところは、1810年以来、テネシー州の軍事的天才アンドルー・ジャクソン の活躍によってインディアン掃討と黒人奴隷制拡大が増長していく時代に、白人でもな ければインディアンでもない混成主体の可能性を占うことではなかったか。 P73 ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー(1807-82)の叙事詩『ハイアワサの歌』 ※インディアンへの好感を示し、彼らの部族を超えた交流の中にアメリカ国家そのものの 進むべき道すら幻視されて、いわば雑婚体験記ともいうべき新たな枠組みが積極的に 肯定されていた。 P75 3.ペイル・フェイス、レッド・スキン ・アメリカ最初の職業作家ワシントン・アーヴィング(1783-1859)を読み直してみたらどうなるだろ うか。 P76 → 『スケッチ・ブック』(1819-20)の「スリーピーホローの伝説」 ※作者はアメリカの将来をヤンキー(白人インテリ:ペイル・フェイス)よりはフロンティアズ マン(野性的な赤い肌:レッド・スキン)に、すなわちインディアン的活力をも取り込んだ 新しいアメリカン・ヒーローに賭けたのではあるまいか。 P77 4.アメリカン・ルネッサンス ・たとえば自然の中で自ら「一個の透明な眼球」となり神との合一を夢見る超絶主義哲学者 ラルフ・ウォールドー・エマソン(1803-82)が神よりも人間の主体を選び取る「自己信頼」(1841) を書き、エマソンの弟子で文字通り1845年から47年の2年間、ウォールデン湖のほとりに 小屋を建て孤独な隠遁生活を送ったヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-62)が奴隷制と メキシコとの戦争に反対して「市民的不服従」(1849)を発表したのは、まぎれもなく独立宣言 の思想が浸透し再構築された証だろう。 P78 → エマソンたちの文化的独立観の背後にはドイツ系啓蒙哲学者イマニュエル・カントの 先験哲学をふまえつつユニテリアリズムをも克服しようとする身振りがあった。 それはいうまでもなく、共和制という芽が、ロマン主義を待って大きく開花していく歩み だった。 P78 ・少なくともアメリカン・ルネッサンスにおいては、新国家独自の文化を創出するためにこそ 新たなる代表的アメリカ人像が要請されたのだという一点を、忘れるわけにはいかない。 エマソン『代表的人間』(1850) 5.ヤング・アメリカの文学的独立 ・アメリカン・ルネッサンスは文学的にはロマン主義、思想的には超絶主義運動、そして政治的 にはヤング・アメリカ運動の勃興期であった。 P82 ・ヤング・アメリカ: 単語としてはメンバーのひとりコーネリアス・マシューズによって着想され、 スローガンとしては1840年代、領土拡張の気運を盛り上げる意味で叫ばれ はじめ、メルヴィルやホイットマンもその一員となり、最終的には1848年、 民主党内部の運動としてアメリカ的理念・制度・影響力を浸透させるべく 目論まれた歴史的装置である。 P82 ※超絶主義運動やヤング・アメリカ運動に代表されるアメリカ文学独立への気運が、 多かれ少なかれアメリカン・ルネッサンスの文学全般に影を落としていた → エドガー・アラン・ポー、 6.1850年の妥協 ・1850年の妥協: ウィスコンシンやカリフォルニアが自由州として加入したことにより奴隷制を 一部緩和しつつも逃亡奴隷法による取締強化を導入しなければならなくなる → 同時代作家たちにもどこかすっきり割り切れぬ曖昧な気分をもたらす ・ここで肝心なのは、1850年の政治的妥協とキリスト教懐疑が切っても切り離せないこと、 だからこそアメリカン・ルネッサンスの作家たちがピューリタニズム批判として超絶主義に共鳴 し、美学的曖昧性を強調するレトリックを共有するに至ったことである。 P87 ∵ジョージ・リッパード(1822-54)によるゴシック・ロマン『クエーカー・シティ』(1845) キリスト教信仰への衝撃 7.白鯨のオン・ザ・ロード ・その好例が、ホーソーンの弟子格であった作家ハーマン・メルヴィル(1819-91)である。 ろくな教育も受けず20歳で船員となり、海を「我がハーヴァード、我がイエール」と呼び、25歳 で書き出してからはひたすらに自分の文学を追求して採算を顧みず、生前は売り上げの点で も評価の点でもほとんど恵まれなかった。ところが、没後、20世紀に入るとイギリス文学史に 拮抗しうるアメリカ文学史の構築が要請されるようになったため、1920年代の再評価を契機 に、一躍アメリカ文学史上、いやドストエフスキーやワイルドとも並ぶ世界文学史上の大作家 として確固たる名声を築き上げた。 P88 ・信仰と懐疑が渦巻き、1850年の妥協へと一気に雪崩れ込む19世紀前半のアメリカ。 P90 8.白の女たち ・さて、この時代、メルヴィルに匹敵するほどに白のシンボリズムに拘泥し、1860年代初頭以後 はたえず純白のドレスを着てマサチューセッツ州アマーストの自宅から出ることすらほとんど なかったのが、女性詩人エミリー・ディキンソン(1830-86)である。 P91 |
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第5章 進化思想の文学−−ダーウィニズム 1.ダーウィン以前 ・その意味で、ふつう、1860年前後、すなわち南北戦争以前・以後で分断されるアメリカ文学史 は、おおむね1859年のダーウィンの『種の起源』以前・以後の思想史上のパラダイム・シフト に対応する。ただそれは必ずしも、ダーウィン以後の進化論が黒人奴隷制解体に荷担したと いうことを意味しない。人類の祖先が猿にまで遡るかもしれないという論理は、あたかも白人の 祖先が黒人であると断定されたかのような雑婚恐怖を、ひいては退化論的衝撃をもたらした はずなのだから。これまで黒人だけを猿扱いしていればよかったのが、こんどは矛先変わって 当の差別的主体たる白人自身が「おまえだって元を辿れば猿だろう」と詰め寄られる衝撃と いうのが、ダーウィニズムの本質を成す。 P97 ・南北戦争以前・以後でひとつ変わったことがあるとすれば、ダーウィン以前に黒人奴隷制に 向けられていた動物差別的な視線が、ダーウィン以後になってようやく人種差別的視線へ 昇格したという一点に尽きる。 P97-8 2.ストウ夫人『アンクル・トムの小屋』 ・コネティカット州出身の女性作家ハリエット・ピーチャー・ストウ夫人(1811-96)の代表作 『アンクル・トムの小屋』(1852)が、・・・アメリカ大衆の反奴隷制感情を燃え立たせたことは まぎれもない「事実」であり、それは同書が発売初日で3000部、以後1年間で30万部という 数字を叩き出した記録からも容易に知られよう。 P98 → ストウ夫人が、黒人と女性双方の社会的苦境を活写し、だからこそエライザやキャシーら 混血黒人奴隷の人物造型に力を入れたのは、明白 3.もうひとりのハリエット ・黒人混血女性奴隷ハリエット・アン・ジェイコブズ(1813-97頃) → 『ある奴隷娘の生涯に起こった事件』(1861): 奴隷制廃止論者のあいだで強い支持 4.南北戦争以前・以降 ・むろん伝統的なアメリカ文学史は、南北戦争以前・以後の時代を夢想にあふれたロマンティシ ズムから現実味あふれるリアリズムへ、さらには罪悪感あふれる人間社会を告発するナチュラ リズムへと変貌を遂げていく転換期として語る。あくまで運命論的なキリスト教的な神(God)への 信仰と懐疑に引き裂かれていたアメリカン・ルネッサンスにおける文化的な「黄金時代」(Golden Age)から、偶然論的な富の神(Mammon)を拝み、にわか成金が勃興し、解放された黒人に 仕事を圧迫された白人たちが人種差別的秘密結社<K・K・K>を結成する社会的な「金ぴか 時代」(The Gilded Age)へ。 P105 → とはいえ、南北戦争を境に何が変わったかとともに、はたして何と何が密かに接続された かを見なくては、公正を欠く。 5.ゲティスバーグの演説 ・1863年11月19日、ゲティスバーグの戦場の固有墓地にて記念すべき「演説」を行なう。 → リンカーンはまず最初の二文において「自由」と「平等」を強調し、ジェファソンの「独立宣言」 を忠実に踏襲してみせる。しかも、第二文では、これが単なる北米内部の問題ではなく、 民主主義国家アメリカを見習う他の国家についてもあてはまる問題であることを明言する。 そして戦死者たちの遺志を継ぎ、奴隷制なき真に自由な国家を樹立すべきことを謳い、 最後にはジェファソンの「独立宣言」からエマソンの「自己信頼」、ソローの「市民的不服従」 へと継承された民主主義精神を大きく開花させるかのように、あの殺し文句「人民のため に、人民が、人民を治める政治」が来る。 P107 ・いってみれば、「ゲティスバーグの演説」は、キリスト教的レトリックを民主主義的ポリティクスに よって絶妙に更新してみせた市民宗教のテクストとして、当時の絶対的多数のアメリカ人の心 をつかみ、リンカーン自身を聖書のモーゼにさえなぞらえる気運さえ導いたのである。 P108 6.マーク・トウェインの冒険 ・マーク・トウェイン(1835-1905)が「金ぴか時代」Gilded Age の名付け親として同時代を諷刺し つつも、自らの成金的発想から児童植字機をはじめとするさまざまな発明品への投資を惜し まず、俗物的な時代精神そのものを体現したばかりか自ら開き直っていたことは、たとえば 『苦難を忍びて』(1872)などで彼本人が認めるところであった。そして、このような開き直りを トウェインの人間の本質批判と捉え、1870年代から90年代に至る彼の作品史そのものを、 楽観主義から悲観主義への変貌、自由人礼賛から人間性悪説への変貌、アメリカ賛歌から ヨーロッパ志向への変貌と見るのは、目下アメリカ文学史上の記述上の約束事を成す。 P109 ・マーク・トウェインは楽観的か悲観的かという問いそのものが、この段に来て内部から崩され てしまう。彼にとってはキリスト教のみならずダーウィニズムもまた、根本より相対化されるべき 価値観にすぎない。それよりも大切なのは、先の引用が示すとおり、トウェインはまちがいなく、 のちにモダニスト作家へミングウェイを、そしてポストモダニスト作家ヴォネガットを生む文学的 先駆者であったという一点に尽きる。 P111 7.リアリズムとナチュラリズム ・アメリカ文学の19世紀末は、一方でヴィクトリア朝を司る「市民的美徳」(リスペクタビリティ)が 残存し、他方ではダーウィン以後の「人間性悪説」(ナチュラリズム)が勃興して、相互に矛盾 し合い相互に補足し合うという両義的価値観(アンビバレンス)を担いながら、大きなうねりを 作り出した時代である。 P113 → リアリズム文学は先行するロマン主義文学の理想に対しては冷静に構えるものの、 ・・・どこか南北戦争以前のボストン知識人たちが培った「お上品な伝統」(ジェンティール・ トラディション)を継承する部分があった。 ex.ヘンリー・ジェイムズ ・それにじきかえ自然主義文学は南北戦争以後すなわち黄金時代ならぬ「金ぴか時代」の特産物 として、金のために露呈する人生の暗雲面をあえて暴きだす傾向にあり、それは20世紀初頭 には社会悪を告発するアプトン・シンクレア(1878-1968)が代表作『ジャングル』(1906)で示し たような「醜聞暴露」(muckraking:汚物さらいの意より)の手法へ結実していく。 P113 8.ヘンリー・ジェイムズの想像力 ・ジェイムズ文学は、大別して国際的主題、認識論的主題、芸術論的主題の三つを抱いて出発 するが、やがてそれらは最終的に、個々の作品内部においても相互に乗り入れていく。 P114 ・すべての作品背景には、ジェイムズならではのきわどい恋愛観のみならず「金の問題」が見え 隠れするが、しかし肝心なのは、にもかかわらず小説全体がさほど醜聞暴露的に堕すること なく、あくまでもお上品な水準を保つことだ。 P115 ・そして、こうした運命的なアンビバレンスをくぐり抜けると、1910年代には、それまで親しい交友 関係にあったH.G.ウェルズとヘンリー・ジェイムズとのあいだの激越な論争が待ち受けている。 P117 9.クレオールの世界 ・(世紀転換期は、まさしく19世紀文学から20世紀文学への壮大なる転換期であった。) そうした転換の徴候は、たとえば昨今再評価の進む女性作家ケイト・ショパン(1851-1904)が まさしく1899年に出版した『目覚め』の中に見ることができる。 P118 ※ケイト・ショパンはアイルランド系移民の父とフランス系クレオールの母をもつ ・ここで興味深いのは、まったく同じ世紀転換期、ケイト・ショパンと1年ちがいの生まれでまったく 同年に没することになる、ギリシャ系アイルランド系アメリカ人作家ラフカディオ・ハーン(1850- 1904)が、似て非なるクレオール文学の方向へ歩み出したことである。 P119 |
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第6章 荒地以後の文学−−コスモポリタニズム 1.イエロー・ぺリル ・19世紀から20世紀への橋渡しがなされるアメリカの世紀転換期は、日清戦争(1894-95)・ 日露戦争(1904-5)の影響により、典型的なアジア系差別すなわち「黄禍」(イエロー・ぺリル) が叫ばれた時代である。 P121 ・そうした社会史的文脈を念頭に置けば、世紀転換期における自然主義文学についても、 新しい視点が得られるだろう。 P123 → 代表的な自然主義作家のひとりであったジャック・ロンドン(1876-1916)は、ダーウィンの 進化論のみならずマルクスの社会主義、ニーチェの超人思想にも感化を受け、適者生存 を語る『野生の呼び声』(1903)から『鉄の踵』(1907)に至る傑作を書き綴った。 ※1906に書かれ、19010年に発表された短篇「比類なき侵略」 黄禍論に立脚した政治的人種偏見、70年先の未来の戦争を空想 1904年のエッセイ「黄禍」(イエロー・ペイル): 日露戦争に従軍 2.蝶々夫人症候群 ・だが、一番顕著なジャポニズムの実例は、『蝶々夫人』だろう。 P125 → 1897年12月、アメリカはペンシルヴェニア州に住む当時37歳の法律家ジョン・ルーサー・ ロングが『蝶々夫人』という小説を発表したのが、真の起源であった。これを1900年に べラスコが劇化するも、以後はプッチーニが1904年に脚色したオペラ版によって世界的に 親しまれてきたというのが真相である。 P125 ・アメリカ的混成社会は当時より今日まで、人種のるつぼからオーケストラへ、さらにはサラダ ボウルへと、さまざまな比喩によって語り継がれてきたが、そうした比喩の胎胚期こそは、 今日でいう多元文化主義、すなわち社会思想家ランドルフ・ボーンが論文「トランスナショナル・ アメリカ」(1916)で示唆したようなコスモポリタニズムの理論化が促進される時代だった。 移民たちがWASPへ単純に同化するのでもなくその逆でもない、むしろ両者のダイナミックな 相互干渉からまったく新しい人間像を編み出すようなヴィジョンを、ここでボーンは提供した のである。 P127 3.1900年の奇遇−−ボームとドライサー ・1900年、19世紀最後の年に、ふたつの文学作品が衝突する。 P127 → ライマン・フランク・ボーム(1856-1919)の手になる児童文学で、目下、再評価が進む 『オズの魔法使い』 アメリカ自然主義文学の巨匠シオドア・ドライサー(1871-1945)が前掲ノリスの尽力により 出版にこぎつけた『シスター・キャリー』 ※世紀転換期アメリカならではの消費文化指向が確実に共有されている。 ・消費資本主義時代の女性主体は、それがドロシーであれキャリーであれ、まさしく存在論的な 無根拠さによって消費への欲望を膨張させ、それによって世紀転換期文明そのものを稼働させ ていくメカニズムにほかならない。こうした無根拠に支えられる独占資本主義の動きは奇遇に も、多様なる移民たちがあえて故郷の根を断ち切って実現しようとしたコスモポリタニズムと 構造的に連動するかたちで形成されていく。 P130 4.パリのアメリカ人 ・アメリカ詩人・批評家ガートルード・スタイン(1874-1946)の主宰になるパリのサロン → スタインといえば、ペンシルヴェニア州アレゲニー生まれながら、1905年から20年代にか けて、毎週土曜日にパリの自宅で多くの芸術家たちが積極的に交流できる場を設けた モダニズム最大の触媒でありパトロンである。彼女は小説家シャーウッド・アンダソンや アーネスト・へミングウェイ、ポール・ボウルズらを育て、画家パブロ・ピカソを発見し、マチス やブラックと友人になり、哲学者バートランド・ラッセルと論争し、詩人エズラ・バウンドや T.S.エリオット、はたまた音楽家エリック・サティらに囲まれていた。へミングウェイらの若い 作家たちを第一次世界大戦後の無軌道・無関心の気分にとらわれた「失われた世代」 (Lost Generation)と命名したのもスタインだった。 P131 ・多様なテクノロジーが可能にした都市文明の中でスタインが実感したのは、いかなる人生も 反復にすぎないという「永遠に続く現在」(continuous present)の視点を重視する姿勢であり、 それは歴史的伝統を否定し、すべてが同時存在してさまざまなジャンルが交差しあう前衛芸術 の本質に迫る。 → 『アメリカ人の形成』(1903-11執筆、1925年発表) ・スタインの作品で最も有名な詩行に“rose is a rose is a rose is a rose”という文法破格の極致 があるが、これなどは、たとえば“rose”という同じ単語であっても、それが繰り返されるたびに ひとつひとつの独自で完結した宇宙をもつものと見る彼女の詩想が最も如実に表れたものだ。 P132 5.コスモポリタンの詩学−−パウンドとエリオット ・スタインがいなければ、現代詩の方向を善かれ悪しかれ本質的に決定したT.S.エリオット(1888 -1965)の「荒地」(1922)も決して完成することはなかったろう。エリオットもまた、純粋にアメリカ 中部はミズーリ州セントルイスの生まれで、ユニテリアン牧師の祖父をもつ。・・・ハーヴァード 大学を出た後にはソルボンヌ大学で哲学者アンリ・ベルグソンに学び、のちに1911年、 ハーヴァード大学院でインド哲学に傾倒、やがてイギリスの哲学者F.H.ブラッドレーを研究する ために1914年、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。1916年に博士論文を書きあげ るも、第一次世界大戦の影響でアメリカ行きの船が出ず、イギリス残留を決意する。 P133 → イギリス文壇で絶大な評価を獲得し、1927年には完全に帰化してイギリス国教会へ改宗 6.「荒地」のあとで ・1918年の第一次世界大戦終了後も軍国体制が弱まるばかりかますます強化され、戦勝国すら 豊かにならず、若い世代の絶望感が深まるばかりの精神的荒廃を表現したのが、エリオットが 1922年に発表した代表作「荒地」である。 P135 → エズラ・パウンドが大胆にノリとハサミで編集し、当初の半分ほどの規模におさまって発表 された ※現代人がいかに荒地と化した文明のさなかより再生への希望を見出せるかという主題が 練り上げられている。 7.失われた世代 ・1920年代ジャズ・エイジ。正確には、1919年のメーデーに始まり1929年の大恐慌で幕をおろす 十年間をこの名で呼ぶ。 P139 → 「何もかもがバラ色でロマンティックな時代」(フィッツジェラルド) ・そして、文学史に照らすなら、それはもちろん、作家フィッツジェラルドが『華麗なるギャツビー』 (1925)を世に問い、ジョン・ドス・パソスが『マンハッタン乗換駅』(1924)を、アーネスト・へミング ウェイが『日はまた昇る』(1926)を、ウィリアム・フォークナーが『兵士の報酬』(1926)を出し、 女性詩人エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーが詩集『第二の四月』(1921)を、前衛詩人e.e.カミ ングスが『巨大な部屋』(1922)をまとめ、劇作家ではユージーン・オニールが『楡の木陰の欲望』 (1924)を、ソーントン・ワイルダーが『サン・ルイス・レイの橋』(1927)を上演した一大収穫期で あり、この時代の作家たちは「失われた世代」(Lost Generation)の名で総称されることになる。 P140 8.荒地を越えて氷山の一角へ−−フィッツジェラルドとヘミングウェイ ・失われた世代の作家を考える時、重要なのは、予想外に根強いエリオットの「荒地」の影響で ある。 P141 ・F.スコット・キイ・フィッツジェラルド(1896-1940): 「時代が彼を生み、時代が彼を捨てた」なる キャッチコピーが彼ほどぴったりあてはまる 作家も少ない ・大恐慌後、30年代に入って失速していくフィッツジェラルドとはうらはらに、へミングウェイは 29年に第一次世界大戦の経験をもとにした『武器よさらば』で4万5千部を売り、アフリカ旅行 の経験を活かして『アフリカの緑の丘』(1935)および名作短篇「キリマンジャロの雪」「フランシス ・マコーマーの短い幸福な生涯」(1936)を、さらにスペイン市民戦争に取材した『誰がために 鐘は鳴る』(1940)を、さらに50年代に入ってもメルヴィルの『白鯨』やフォークナーの『熊』など、 アメリカ文学史における狩猟小説の正統に連なる『老人と海』(1952)を書き、第二次世界大戦 から戦後に至る、「強いアメリカ」を体現する作家と化していく。 P143-4 ・フィッツジェラルドはあくまでサイレント映画時代の感覚で『ギャツビー』を書いたが、へミングウ ェイは今日にも通じるトーキー映画時代の感覚で『日はまた昇る』以後を書き継ぎ、彼の作品の 多くは映像化された段階でも成功を収めた。 P144 9.30年代への転換−−ウィラ・キャザーの闘争 ・20年代と30年代の対照は、いわばバブルに浮かれ騒ぐ時代と経済恐慌に喘ぐ時代の対照で ある。前者の場合、いくぶん夢想的で家庭的な文学でも愛されたが、後者の場合、あくまで 厳しい環境を生き抜くための社会的処方箋が文学にすら求められた。 P146 ・主として家庭小説の体裁の中にアメリカとヨーロッパを対照させ、移民社会のコスモポリタン的 本質を突こうとした中西部ネブラスカにおける地方色女性作家ウィラ・キャザー(1873-1947) の評価変動において、最も如実に現れている。 P146 |
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第7章 冷戦危機の文学−−ポスト・アメリカニズム 1.アメリカの世紀 ・となると、やはり第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてのさまざまな試練をくぐり抜け、 20世紀がアメリカの世紀であるのが確認されて初めて、アメリカ文学もその確固たるイメージ を定着させるようになったのではないか。いまでもアメリカ文学というと20年代から30年代に かけて、すなわち1919年に女性参政権が成立し、禁酒法時代(1920-33)に突入した好況期 ジャズ・エイジが、そして失われた世代作家としてのフィッツジェラルドやヘミングウェイの「顔」 が真っ先に甦るのは、彼らがアメリカの世紀ならではのアメリカの「声」を代弁していたため ではなかったか。 P152 2.さまざまなルネッサンス 3.敗北の想像力−−フォークナー、バック、ミッチェル ・フォークナーの最も先端的な主流文学とパール・バックの最も南部的な女性文学、ミッチェル の最も通俗的な大衆文学は、まったく異なる文学市場に位置しながらも、奇妙に共鳴する 敗戦の想像力を共有し、南部の問題をアメリカ30年代そのものの国民的問題へと一気に 拡大したのである。 P161 4.米ソ冷戦以前・以後 5.魔女狩り、赤狩り、同性愛者狩り−−マシーセンに始まる ・・・・30年代から40年代へ移行する期間というのが、今日のアメリカ文学史の枠組みを確立 したF.O.マシーセン(1902-50)の円熟期にあたり、・・・・数々の名著を発表していった P163 ・輝かしい批評的業績と学問的名声をほしいままにしたかに見えるアメリカ文学者マシーセンは、 まさに左翼系ゲイであるという主体形成を経てきたがゆえに、じつのところ戦前も戦後も あくまでその秘密をひた隠しにしながら、いわばクロゼット内部にたてこもりながら、学者的 批評活動を続行しなくてはならなかったのである。 P164 6.失われた世代からビート世代へ−−またはサンフランシスコ・ルネッサンス ・これまでのアメリカ文学史における限り、1920年代ジャズ・エイジに活躍した「失われた世代」 につづく主要な文学運動としては、50年代パクス・アメリカーナを背景に登場した「ビート世代」 を置くのが常識だった。ここでも、その約束事の外枠を疑うつもりは、いささかもない。だが、 少なくとも戦前戦後にかけて、すなわち40年代に頭角を現す作家たちに、ビートが主題化した アメリカ的物質中心主義に根ざす産業文明への不信を先取りする者がいたことについて、 言及しないわけにはいかない。 P165 → 『宙ぶらりんの男』(1944): ソール・ベロー(1915- ) 『裸者と死者』(1948): ノーマン・メイラー(1923- ) 『シェルタリング・スカイ』(1949): ポール・ボウルズ(1910-1999) 7.アメリカ黄金時代 ・『るつぼ』(1953): アーサー・ミラー 『見えない人間』(1952): ラルフ・エリソン(1914-94) 『ライ麦畑でつかまえて』(1951): J.D.サリンジャー(1919- ) 8.サイバネティックス時代の文学 ・『キャッチ=22』(1961): ジョゼフ・へラー(1933-99) 『カッコーの巣の上で』(1962): ケン・キージー(1935- ) 『ベル・ジャー』(1963): シルヴィア・プラス(1932-63) 9.ポストモダン・アメリカの主体形成 ・・・20世紀後半を決定したポストモダニズム的瞬間を特定するとすれば、メディア・テクノロジー がイデオロギーとほとんど見分けがつかないほどに結託することになるひとつの事件を想定し ないわけにはいかない。それは折も折、プラスが『ベル・ジャー』を発表し自殺を遂げた 1963年11月22日テキサス州ダラスで、第35代アメリカ大統領ジョン.F.ケネディが暗殺された、 あの瞬間である。 P181 → ケネディ暗殺は、アメリカ国民と大統領とのあいだに築かれた確固たる信頼関係の鏡球 が、一瞬にして瓦解した瞬間に等しく、それもまたメディアによって増幅された 10.二十世紀アメリカ小説最高傑作 ・批評家ラリイ・マキャフリイによる「二十世紀英語文学傑作百選」の中のアメリカ文学 1位 『青白い炎』 ウラジミール・ナボコフ 3位 『重力の虹』 トマス・ピンチョン 4位 『公開火刑』 ロバート・クーヴァー 5位 『響きと怒り』 ウィリアム・フォークナー 6位 『アメリカ人の形成』 ガートルード・スタイン 8位 『ノヴァ』 ウィリアム・バロウズ 9位 『ロリータ』 ナボコフ 11.文学史的自意識−−ジョン・ベリマンの蔭に ・文学批評史の発展: ジャック・デリダ → イエール・マフィア → 『ビジネスマン』(1984) (トマス・ディッシュ) 12.ポール・オースターとアメリカ文学史 ・映画『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(1998): ポール・オースター(1947- ) 13.ドン・デリーロ『アンダーワールド』または世紀転換期の夢と悪夢 ・20世紀末に書かれながら、あたかも21世紀最初の年を予見したかのような恐るべき 世紀転換期作品 →ポストモダン作家デリーロは、荒地から湧き出た膨大なゴミに対して、今日いかなる美学的・ 宗教的再評価が可能なのかを考え、きわめて具体的な核時代ならぬ核廃棄物時代のため の分別マニュアルを織りなす。 P202 |
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第8章 アメリカの正典を読む 1.ナサニエル・ホーソーン『緋文字』 2.ハーマン・メルヴィル『白鯨』 3.マーク・トウェイン『不思議な少年』 4.トマス・ディクソン『クランズマン』 5.ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』 6.ジョン・スタインベック『エデンの東』 7.リチャード・ライト『アメリカの息子』 8.J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』 9.トニ・モリスン『ビラヴド』 10.トマス・ピンチョン『メイソン&ディクソン』 11.アン・ブラッドストリート『十番目の詩神』 12.ウォルト・ホイットマン『草の葉』 13.ガートルード・スタイン『やさしい釦』 14.シルヴィア・プラス『エアリアル』 15.アドリエンヌ・リッチ『血、パン、詩』 16.ユージーン・オニール『楡の木陰の欲望』 17.アーサー・ミラー『セールスマンの死』 18.テネシー・ウィリアムズ『イグアナの夜』 19.T.S.エリオット原作 アンドリュー・ロイド・ウェッバー作曲ミュージカル『キャッツ』 20.トニー・クシュナー『エンジェルス・イン・アメリカ』 第一部「至福千年紀が近づく」 第二部「ペレストロイカ」 |
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Column 1.船旅のフロンティア−−ウィリアム.L.ヒート=ムーン『水路アメリカ横断8500キロ 西へ!』 2.ボルティモアの文学史 3.アメリカ禁酒運動の運命 4.ネイチャー・ライティング 5.リンチ国家アメリカ 6.ヴードゥー・ジャズ小説の最高峰−−イシュメール・リード『マンボ・ジャンボ』 7.1920年代の文学史革命 8.アメリカン・ゴシックの達成−−ポール・ボウルズ『遠い木霊』 9.同毒療法のビート的伝統−−ウィリアム・バロウズ『ウェスタン・ランド』 10.映画「すべての美しい馬」孝−−現世界の終わりと新世界の始まりを告げる 11.ブラック・フェミニズム−−トニ・モリスン『パラダイス』 12.韓国系アメリカ文学の可能性−−チャンネ・リー『最後の場所で』 13.ポストコロニアル文学の収穫−−ジャメイカ・キンケイド『アニー・ジョン』 14.『小説作法』−−スティーヴン・キングの極意 15.スポーツ小説を越えて−−デイヴィッド・プリル『葬儀よ、永久に続け』 16.ナノテク文学の未来−−ニール・スティーヴンスン『ダイヤモンド・エイジ』 |
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参考文献 |
247 |
アメリカ文学年表 |
280 |
索引 |
301 |